Pukar 1939年 148分(165分とも)
主演 ソーラブ・モディ & チャンドラモーハン & ナセーム & シェーラ
監督/製作 ソーラブ・モディ
"鳴らせ。叫べ。帝国の正義を試すために"
今日も帝城で鐘が高らかに鳴り響く。貴賎を問わず、様々な訴訟の直訴を皇帝ジャハーンギールに知らせる鐘の声が…。
公正なる法の裁きを敷く第4代ムガル帝国皇帝ジャハーンギールの御代。
帝国の兵士マンガル・シンは、ラージプート首長の娘クンワルと密かに恋仲になるが、これに怒るクンワルの兄ランジート・シンと父親ウダイ・シンに決闘を申し込まれ、勢いでランジートを殺し、ウダイに重傷を追わせてしまう。
ウダイは、傷を負いながら皇帝に直訴を願い出るが、帝城の鐘を鳴らしただけで息絶えてしまった。ジャハーンギールは、このウダイの不審死を調べる上で、失踪したマンガルこそ犯人であると言う彼の父サルダール・サングラム・シンの証言を元に「息子マンガルを見つけだして連れてくる事。ただ1人残された被害者の娘クンワルを以降保護する事」を裁定。判決に従い息子を捕まえながらも、なんとか正当防衛である事を皇帝に認めさせようとするサングラムだったが、判決はマンガルの一生涯の辺境地方への追放という重いものとなる…。
そんなある日。裁判にも出席していた皇后ヌール・ジャハーンが、戯れに後宮から放った矢で川辺の洗濯人を殺してしまったと言う声を聞いたクンワルは、愛するマンガルのためにすぐさま一計を案じサングラムの元へと走るが…。
挿入歌 Saanwar Waalaa Vahi Re (ああクリシュナ、貴方は私の心に)
タイトルは、ウルドゥー語(*1)で「叫び」とか「呼び声」…の意? 劇中では、帝城の訴訟を皇帝に知らせる鐘の音による「召喚の呼び音」の意で使われている。
インド独立以前の英領インド時代に製作された映画で、ムガル帝国の第4代皇帝ジャハーンギールの時代を舞台とした歴史劇。本作は、ウルドゥー語映画による最初期のムスリム社会派映画と称されているそうな。
脚本にはのちに「Mughal-E-Azam(偉大なるムガル)」の脚本も手がけるカマル・アムローヒーが参加していて、監督を務めたソーラブ・モディの代表作となる歴史大作3部作の第1作(*2)になる。
ムガル最盛期の皇帝ジャハーンギールが施行する「法の下の平等」の有様をテーマとして、前半〜中盤までは道ならぬ恋によって殺人を犯したマンガル・シンの裁判の行く末と、遠回しに正当防衛を訴える父親サングラム・シンの駆け引きと親子愛を描いていくのんびりした語り口。そこから、後半に入って起こる皇后ヌール・ジャハーンの殺人事件の裁判によって、下層民からの訴えと愛する妻を裁かざるを得なくなる皇帝の正義との対立・「法の下の平等」がどこまで本当に実行されるのかを試すマンガルの父親サングラム・シンの計画のもと、「法治主義」の正義の揺らぎと絶対性を謳う、"世界最初の法治社会の実現"を達成していたと誇るインド人たちの威容と伝統を見せつけるかような史劇大作。
わりと展開がゆっくりしている上に、テーマありきの説明台詞による会話劇が多いので中盤までは屋外ロケの豪華さ以外はなんとなくたるい印象が強い映画ながら、ヌール・ジャハーンの洗濯人射殺事件以降の怒涛の展開と、庶民VS宮廷人の正義の対立、皇帝が今まで施行させてきた「法の下の平等」の信頼性が揺らぐ姿のサスペンスフルさはまさにインド映画史に残る名シーンでありましょうか。
裁判官として様々な訴えを平等に聞いて裁定を下す皇帝ジャハーンギールの、裁判官としての誇りのあり方、法治主義への理解、貴賎を問わずに人々の声を聞き届けんとする名君主っぷりは、大岡越前も越える名裁判もの傑作映画と言うスタイル。その瞬きしないでカッと見開かれた眼の強さが印象的ながら、その表情はイスラーム帝国の皇帝であると同時にヒンドゥーの地獄の裁判官ヤマ神を彷彿とさせるような絵作りにも見えてくる。
そのジャハーンギール皇帝を演じたのは、1906年英領インドの中央州ナルシングプル(*3)に生まれたチャンドラモーハン(またはチャンドラ・モーハン)。
生まれつきの大きな目や声のトーンが評判を呼び、当時設立されたばかりの新規映画スタジオであるプラバート・フィルム・スタジオ第1号作品のヒンディー語(*4)+マラーティー語(*5)映画「Amrit Manthan(神酒づくり / 1934年公開作)」に主役級デビュー。以降、悪役を中心に人気を獲得する映画スターとなり数々の名作に出演。
当初、「Mughal-E-Azam」の主役にもキャスティングされて撮影も始まっていたものの、1949年に自宅にてギャンブルと飲酒によって無一文になって物故されているのを発見される。享年42歳。「Mughal-E-Azam」は、その後しばらく企画凍結された後に、別の男優を呼んで再撮影されている。
後半に存在感を増す皇后ヌール・ジャハーンを演じたのは、1916年英領インドのデリーに生まれたナセーム(・バーノー。生誕名ローシャン・アラ・ベーガム)。
父親は王族の子孫となる地主ナワーブ・アブドゥル・ワヒード・カーンで、母親は有名な歌手シャムシャード・ベーガムになる。
母親の影響で子供時代から芸能界を見知った環境で育つも、母親からは医者になるよう望まれていたと言う。しかし、学生時代から女優スローチャナーに憧れていて、ボンベイ(*6)の映画スタジオ見学に行った時に、本作監督のソーラブ・モディに見出されて映画出演をオファーされ、反対する母親に対してハンガーストライキで抵抗して映画出演を認めさせ、35年のモディ監督作となるハムレットの翻案ウルドゥー語映画「Khoon Ka Khoon(血によって)」でオフィーリア役に抜擢されて映画&主演デビュー(*7)。
その後もモディ監督作の常連女優として活躍し、歌手デビュー作でもある本作で大絶賛されるも、他の映画スタジオから殺到する出演オファーを良しとしないモディ監督とスタジオと対立し始め、いくつかのスタジオを転々と移籍することとなる。
幼馴染の建築家ミアン・イーサン=ウル=ハクと結婚後に、夫婦で映画スタジオ"タージマハル・ピクチャーズ"を設立して多数の映画に出演するも、50年代から人気に陰りが見え始めて女優業を縮小。離婚の後、渡英して子供たちをイギリスで育てていく。
その後、娘のサーイラー・バーノーの映画デビュー作「Junglee(野蛮なヤツ / 1961年公開作)」にて娘のドレスデザインを担当してからは、娘サーイラー出演作を中心に衣裳デザイナーとしても活躍。
2002年、ムンバイにて物故されている(死因は非公開)。享年85歳。
前半のヒロイン クンワルを演じたシェーラ(・デーヴィー)は、32年の「Nishir Dak」で映画デビューした人のようだけど、ネット情報が少なくてよく分からず。「Sikandar」を始め、モディ監督作にも出演し続けている女優だったよう…?
監督のソーラブ・モディ自身が演じるサルダール・サングラム・シンの家族や皇帝を時に説き伏せ、時に怒鳴りつけ、時に問題提起する景気のいい啖呵のキレ味も見事。まあ、台詞に重点を置きすぎてるよな…と感じる点は強いけど、ヌール・ジャハーン裁判においての、捕囚となる皇后の零落、皇帝とサングラム双方の「家族を思う故の、その罪との付き合い方」の対比具合の計算された見せ方はまさに一見の価値あり。そこで、例え愛する息子や妻であろうと、宮廷人や貧困にあえぐ庶民であろうと、法の名の下に相応の罰が必要と裁く皇帝の覚悟と悲哀の様が、映画全体の格を底上げするような迫力。1カット1カットの画面構成の優雅さもあって、当時の製作規模を上回るような麗しい映画に見えてくる。
史実として、ジャハーンギールが実際に貴賎を問わずに様々な裁判を取り仕切っていたのかどうかとか、ヌール・ジャハーンを始め物語上で問題を起こすのがだいたい女性キャラによってって言うのはラーマーヤナその他の影響なのかとか、色々気になるところはあるけれど(*8)、インドにおけるムガル最盛期のイメージの1つの型としてこんな映画がある、と知っとくのもある意味で重要かもしれないなあ…と思うほどにはインパクトの強い映画ですわ。
劇中の、宮廷内で行われる人間チェスゲームのシーン
「Pukar」を一言で斬る!
・ムガル宮廷での裁判、女性が証言する時は女性裁判官(皇后ヌール・ジャハーン)が話を聞き、男性が証言に出てくると垂れ幕を落として姿を隠す(声はしっかり聞こえる)仕掛けってのは実際のもの?
2021.4.9.
戻る
|
*1 北インドのラダック連邦直轄領とジャンムー・カシミール連邦直轄領の公用語の1つで、パキスタンの国語。主にイスラーム教徒の間で用いられる言語。
*2 2作目は41年の「Sikandar(大王シカンダル)」。3作目は43年の「Prithvi Vallabh(プリティヴィ・ヴァラーバ / 大地母神の伴侶)」。
*3 現マディヤ・プラデーシュ州ナルシングプル。
*4 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*5 西インド マハラーシュトラ州の公用語。
*6 現マハラーシュトラ州都ムンバイ。
*7 が、これによって学校側からクレームが入って中退させられることになったそうな。
*8 実際のヌール・ジャハーンは非常に聡明かつ政治的手腕も卓越した才人だったとかで、劇中のような失策をするようなイメージはない感じだけども…史実にお話の元ネタとかあるのかな?
|