渇き (Pyaasa) 1957年 146分
主演 マーラー・シンハー & グル・ダット & ワヒーダー・ラフマーン
監督/製作 グル・ダット
"君には決してわからないよ…君がなぜ幸せになれないのかなんて"
売れない詩人ヴィジャイは、自分の詩をぞんざいに扱う新聞社や実家と対立し、敵を作るばかり。母以外の家族からは勘当同然の身であった。
身を寄せる親友の家からも追い出されたヴィジャイはその夜、未発表のはずの自分の詩を歌う娼婦を見かけ「僕の詩を盗んだのなら、お金を払って欲しい」と押し問答となるが、結局押し負けて追い返されてしまう。その女性グラーブは、後になって自分が道端で拾って感銘を受けた詩が、本当にさっきの男の作だと知って驚くことに…。
翌日。昨夜のことを謝るグラーブと食堂で再会しつつ、自分の貧しい境遇を思い知るヴィジャイは、なにか手助けしようとするグラーブから逃げるように別れると、その先で偶然同級生プシュパと出会ってしまい、母校の人々の前で詩を披露することになってしまうが、そこにはかつて愛し合いながらも別れてしまったミーナの姿が…。
挿入歌 Jinhen Naaz Hai Hind Par ([あの通り、この家々で喜びは競売にかけられ、人生という奪われ続けた隊商が過ぎ行く。尊厳を守る者は何処に] この国に誇りを抱くものは何処に…)
ヒンディー語(*1)映画界の鬼才グル・ダット7作目の監督作にして、彼の代表作と謳われる傑作であり、ヒロイン演じるワヒーダー・ラフマーンの初主演作でもある。
1968年にはタミル語(*2)リメイク作「Devi」、75年にはテルグ語(*3)リメイク作「Mallepoovu」も公開。
05年のタイム誌「最高映画100選」の1作に選定され、インディアタイム誌でも「注目ボリウッド映画25選」に入選。さらに、11年のタイム誌のバレンタインデー特集「ロマンチック映画10選」でも選ばれている。
日本では、1988年の大インド映画祭で「渇き (Pyaasa / The Thirsty One)」のタイトルで上映。2001年の国際交流基金アジアセンター主催「インド映画の奇跡 グル・ダットの全貌」、2007の東京国立近代美術館フィルムセンター「インド映画の輝き」、2008年の神戸映画資料館「グル・ダット傑作選」他でも上映。 DVDも発売されていました。
前半から中盤までは、明治近代文学のような純粋無垢な詩人と厳しい現実との、折り合いのつかないままならなさを描く映画だなあ…と思って見ていたものの、浮浪者とともに鉄道事故で「ヴィジャイが死んだ」と言う誤報ニュースが流れてからの世間の手のひら返しの皮肉さを表す映画後半の展開に「おおお…」と唸りっぱなし。たしかに、これは映画史に名を刻むにふさわしい傑作。
魂の誇りに突き動かされる人の生き様のなんたるか、理想と現実の圧倒的なまでに埋まることのないあらゆる格差、尊厳の高みを見据えるが故の刹那的な幸福のありよう…。白黒画面であるからこその格調高い画面の空気というものが、「映画の枠」なるものを簡単に吹き飛ばしながらも映画でしかでき得ない表現で「人の生きる姿」を見せつけてくれまする。
タイトルの「渇き」とは、どんな人が、なんのために、なにに"渇いて"いるのか…。映画後半にハッキリとその答えが現れて来るとはいえ、多重的な読み取りも可能。主人公ヴィジャイの詩作の原動力とは、娼婦グラーブを突き動かす衝動とは、ミーナの苦悩、夫ゴーシュの憤り、その周囲の人々の熱狂の底にあるものなどなど…。
物質主義にひた走る現代社会そのものへの諦観・虚しさ・当てつけ…物語は、芸術に突き動かされる主人公をどこか預言者めいた姿、仙人然とした雰囲気で描き出しつつも、インド社会が一切見向きもせず、感じることすらできず、周囲の熱狂と拝金主義でしかものの価値や状況を汲み取れない人々の醜悪さを次々と暴露し攻撃して行く。ある程度カリカチュア的に描かれる都会人たちの他者を顧みない生活のありようの中で、風に舞う原稿や街路の濃い影、印象派絵画のような冒頭の公園の状景、グラーブの部屋に向かう長い回廊をグルグル映すシーン、怯えたような登場人物たちの眼の数々…と言った描写がとてつもなく効果的。
本作で、ヒロイン(*4)ミーナを演じるのは、1936年の英領インドはベンガル州カルカッタ(*5)にて、ネパール人マデシ系家庭に生まれたマーラー・シンハー(生誕名アルダー・シンハー)。本作の出演者クレジットでは一番最初に表記されている。
当初はベイビー・ナズマーの芸名で歌手デビュー。ラジオやステージで活躍したのち、50年から子役として映画デビューし、52年のベンガル語(*6)映画「Roshanara」で主役デビューを果たす。
以降、ベンガル語映画で活躍しつつ撮影のためにボンベイ(現ムンバイ)に赴いた時に、女優ギーター・バーリーを通じてキダル・シャルマー監督と引き合わされて、54年に「Suhagan」「Hamlet(ハムレット)」「Badshah(帝王)」の3本でヒンディー語映画デビュー(*7)。その演技力を絶賛されて50年代後半〜90年代前半まで大活躍することになる。
65年のBFJA(ベンガル映画ジャーナリスト協会賞)にて、「Jahan Ara(公開は64年)」で主演女優賞を、翌66年には「Himalaya Ki God Mein(ヒマラヤの麓にて / 公開は65年)」で同じくBFJA主演女優賞を2年連続で獲得。後年数々の功労賞を贈られている。
66年公開のネパール映画「Maitighar(母の家)」出演が縁となって、ネパール人俳優チダンバル・プラサード・ローハニーと結婚。娘のプラティーバ・シンハーも90年〜00年までボリウッド女優として活躍していた。
元々、本作のヒロインには大女優ナルギスとマドゥーバーラーが、主人公ヴィジャイ役にはディリップ・クマールがオファーされていたそうだけど、諸事情で撮影段階で現在のキャストでスタートしたそうな。
グル・ダットが惚れ込んでボンベイに呼び込んだワヒーダー・ラフマーン(*8)は、本作と「CID(犯罪捜査課)」にほぼ同時期に撮影参加していたそうな。公開は「CID」の方が早かったとはいえ、その美しさ、圧倒的な存在感は、本作のグル・ダットのパワーをも凌駕する映画の顔ですわ…。
この聖なる娼婦グラーブという役、脚本を書いたアブラール・アルヴィが出会った実在の娼婦をモデルにしているとか言う裏話も、色々とスゴい話…。まあ、魂の気高さを描くために、浮世離れした存在になってしまってもいるけれど。
厳しい現実を前に、高潔な詩が人々に感銘を与えるさまも注目ポイント。
俗世間の拝金主義の中にあって、最初こそ無視され無価値なものとして誰にも相手にされないヴィジャイの詩作は、それでも2人のヒロインの心に響き、同級生プシュパの自慢の種として記憶の中に積み重ねられ、ヤジを飛ばす聴衆を次第に黙らせてしまうほどの力を発揮する。
貧しさゆえに、貧しいからこそ、魂の尊厳をこそ最大の財産として生きようとする詩人(*9)の誇り高い姿が、刹那的なものであろうと滅びの美学であろうと、映画のなかでここまで燦然と輝いているか姿に圧倒されてしまう1本でありましょうか。
挿入歌 Ham Aapki Aankhon Me (僕が君に…君の眼差しに心を捧げたなら)
*シリアスで重いテーマの本編に対して、その雰囲気を軽くするために後から配給側の要請によって追加されたミュージカルシーン。
「渇き」を一言で斬る!
・映画後半のグラーブの、おでこ片側だけカールする髪型が気になって気になって…当時の流行?
2021.9.11.
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