Rani Chithira Marthanda 2023年 122分
主演 ジャスクッティ・ジャイコブ・コチュパランビル & キールターナー・スリークマール
監督/脚本 ピンクー・ペテル
"それで、貴方がこの店をどう運営して行くのか、見せてもらおうじゃないの"
アンソン薬局に勤めるアンソンが最も恐れるのは、彼の父親マシュウである。
薬局の経営者で支配者でもある父は、アンソンの行動全てを管理し逸脱を許さない。店の汚点はすなわち要領の悪い自分に原因がある…と、アンソンはいつも思わされている。そんな彼は、友人アシフと共に近々父親からの独立用のお店を作る予定…。
その日、父が取り寄せていた薬の手配連絡がないとの怒りの電話を受けたアンソンは、急遽そのお客が出向いているカイナカリー(ケーララ州クッタナード地域アーラップラ県内の村)の結婚披露宴まで薬を届け、連絡ミスを謝罪しなければならなかった。
しかし、そのまま帰宅したその夜、安全ピンを飲み込んでしまった弟クッタッチャン(本名ジャクソン)が搬送されたために付き添いで病院に来たアンソンは、夕方の披露宴の参加者の中で一目惚れした美女リーシャを向かいの病室の付き添い人の中に発見する!
その日から、きっかけを作ってはリーシャと親しくなって行くアンソンだったが、弟の退院も近づいたある日、向かいの病室に薬を届けに行くと、リーシャ一家が勢ぞろいして彼女へ婚約者から結婚指輪を渡している現場を見てしまう…!!
プロモ映像 Choolangalaake (この笛には [願いが詰まっている])
タイトルの意味はイマイチ不明ながら、「チティラ・マールタンダのお姫様」の意? あるいは「王女様、チティラ様、マールタンダ様」?
チティラは「星(*1)」の意味の他、歴史上ではケーララ州の前身となるトラヴァンコール藩王国最後の王様であるスリー・チティラ・ティルナル(本名スリー・パドマナバーダサ・スリー・チティラ・バララーマ・ヴァルマー *2)のことを指すこともある、らしい? この王様は、インド独立以後一度は藩王国の独立を目指すも果たせず、王国のインド併合後には慈善活動なので医療や教育改革に勤しんだ人物だと言う。
マールタンダは「太陽(神)」「顕現」「12」を意味するサンスクリット由来の名前で、トラヴァンコール藩王国の建国王の名前でもある。
3つ合わせて、劇中の主人公を襲う「親からのしがらみ」的な意味…であろかどうだろか。誰か教えてプリーズ(*3)。
冒頭からクッタナードのひなびた島嶼地域の夕景で始まる、その詩情豊かな画面作りが最後まで美しい映画でありつつ、そこで親からの重圧に耐えながら生きて行く主人公たち子供世代の人生の有り様を、時にのんびり時に切なく描いて行くとぼけた青春家族劇。
2018年の「イエス様 マリア様 ヨセフ様(Ee.Ma.Yau.)」や2021年の「Aarkkariyam(誰が知ろうか)」などと同じような、ケーララのキリスト教徒家庭を舞台にした家族映画でもあり、主人公の薬局経営の家庭と、ヒロインの実業家家庭が共通して親からの期待・重圧によって子供達の人生の先の先までもが決定されている状態になっていて、そこからの脱出あるいは和解を描いて行く物語はそれなりにシリアスな展開も入ってくるものの、語り口はどこかとぼけた調子を維持して登場人物たちの1つ1つの行動のミスマッチさが笑いを誘うノリの軽さが心地よい。
弟の入院生活の介護のために病院に通うアンソンが、向かいの病室の介護要員として通ってくるヒロイン リーシャを見つけて、彼女の気を引こうと弟そっちのけで涙ぐましい努力を始めるのは脱力系の笑いを誘うし、薬局の監査に来た役人にいい顔しようと空回りするアンソンの必死さも楽しい(*4)。アンソンを支配しコントロールしようとする父親が、自分の薬局に息子の名前をつけているあたり、生まれた当初から子煩悩な父親だったんじゃないかと推測できるのも可愛らしいけれど、その愛情の裏返しとして店の経営に妥協を許さず、アンソンが「自分1人だけでやってみせる」となってから次々に判明してくる経営の困難さ、さまざまな交渉ごと・監督体制作り・必要書類作成の猥雑さをたった1人でやり続けていたという事実が現れてくるのも色々と考えてしまう部分となる。そこから、なんとか息子にしっかり継いでもらいたいと言う(十分同情できる)親側の欲求も見えてくるのももどかしい。そんな親心もわからないまま、厳しい指導のみが突き刺さるアンソンの気苦労も大変なのがわかるから、すれ違う親子の間柄というのはなかなかに難しい。
一方で、親から金持ち家庭の知り合いの息子との結婚を急かされているリーシャもまた、親の敷いたレールから離れて自分の人生を送りたいという欲求に従って、したたかに、それでいて計画的に留学準備を進めていて「結婚が決まっても、その前に外国に行ってしまえばこっちのもんよ」と語れる強さはカッコええ(*5)。
境遇の似ている2人が徐々に仲良くなって行く前半のロマンス展開も綺麗なんだけど、中盤以降その2人が双方でそれぞれに人生計画を潰され、不承不承親のレールに戻らざるを得なくなり、それでもなお家族への愛情を確かめ、かつ自分の人生の模索をやめない涙ぐましい努力が、インドの若い世代たちを取り巻く厳しい現実の縮図のようでもあり、一見理想的な観光地に見える幸せな日常の裏の顔を見るようであり、何代もの人々の暮らしを繋げてきたインド社会の人口密度の、その密な部分が引き起こす閉塞感を見せつけられるようでもある。強く見せなければ生きて行くのが辛い現実と言うものを前にして、日常的家族を演じていられるのも、それはそれで大変なことでもあるわけだね…。
新人キャストによる新人監督作のためか、背景情報がなかなか出てこない本作なんだけど、主役アンソンを演じたジャスクッティ・ジャイコブ・コチュパランビルは、自信なさげな眉をしかめた表情してると、なんとなくタミル語映画界を中心に活躍している男優シッダールタに似てる感じ。困り顔になればなるほど似てる。他の映画だと、また違うらしいので他の出演作も見てみたい。
リーシャ演じるキールターナー・スリークマールは、TV女優から映画に入ってきた人みたいで、喜怒哀楽の変幻自在さはジャスクッティ・ジャイコブ・コチュパランビルよりも長けてる印象。劇中唯一のダンスシーンで踊ってるところも魅力的だったので、こちらも早速に他の出演作をチェックしたいですよ。
それにしても、主役2人ともしがない一般庶民ですよみたいな顔していつつ、家族が入院した病室はシャワー付き個室って、ケーララの病院って結構待遇いいでないかい!?
挿入歌 Ekandha Life (僕の孤独な人生 [の大砲が、今鳴り響いた])
「RCM」を一言で斬る!
・留学してないと結婚相手に認めてもらえない、ってセリフは、世知辛いんだか、たくましいんだか…。
2024.5.5.
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