インド映画夜話

黄色に塗りつぶせ (Rang De Basanti) 2006年 157分
主演 アーミル・カーン & アリス・パッテン & シッダールタ他
監督/製作/脚本 ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラー
"完璧な国…そんなものなんてない。でもいつか…オレたちがそれを浅黄色に染め上げよう!"





 20世紀初めにインド独立のために戦った独立闘士たち…その処刑に立ち会った祖父の手記を見つけた映画製作者の英国人スー・マッキンリーは、これらインドの独立闘士たちの伝記映画を企画するが、英国ではだれもそんな企画には見向きもしてくれなかった。

 義憤に燃える彼女は単身インドへ渡り、資金も支援もない中、昔の友人ソニアの紹介でデリー大学を拠点に映画の仕込みに入る。悪戦苦闘の末、ソニアと親交のある留年組メンバーと知り合い、リーダー D.J.(本名 ダルジート・シン)、ムスリムのアスラム・カーン、兵器ビジネスを請け負う父に反発するカラン・R・シンハーニア、お調子者のスキー・ラームたち(+最初は彼らを非国民と罵っていたヒンドゥ保守党員のラクシュマン・パーンデーイ)こそ自分の映画キャストに相応しいと確信。なんとか彼らに独立闘士を演じてくれるよう頼み込んでいく。
 始めは過去の愛国者たちの行動が理解できず、皮肉りあってインドの現状を嘲笑しあうD.J.たちだったが、映画製作が具体化していくと独立闘士たちに感化されていくように…。

 その頃、ソニアの恋人の空軍中尉アジャイ・ラトホードが彼女との正式な婚約に成功! 仲間たちで大いに祝いあう中で空軍に戻るアジャイだったが、悪名高き旧式戦闘機MiG-21での訓練中に墜落死してしまう!!
 彼の死を国防大臣は「パイロットが悪い。MiGにはなんの欠陥もない」と切って捨て、抗議デモを武力鎮圧し始める…。


挿入歌 Khalbali (休息は終わった [感じろ、国を襲う不穏な空気を])

*みんなで井戸の水面を叩き合ってる時、クナール・カプールだけテンポが合ってないような…?


 タイトルは「サフラン色に染めろ」。副題は「A Generation Awakens(覚醒する世代)」。サフラン色(パントーン1495c)とは、インドを象徴するヒンドゥー教の色彩(*1)。
 日本語でサフラン色は、浅黄色・黄色・鬱金色・柑子(こうじ)色あたりで呼ばれる(*2)。
 日本では、2014年に「京のインド楽市」にて上映。

 映画前半は、独立闘士たちの伝記映画を撮ろうとするスーたちの悪戦苦闘ぶりと、今時の若者代表であるD.J.グループの青春劇。
 途中途中で、スーの制作する映画内のシーンとして、過去のインド独立闘士たちの闘争劇が差し挟まれ、映画後半の青年たちの衝動とシンクロしていく所が熱い。配役を「現代劇役名(俳優名)→スーの映画内における独立闘争時代の役名(*その略歴)」でまとめると…

・グループのリーダー D.J.(アーミル・カーン)→チャンドラシェーカル・アーザード。
(*マディヤ・プラデーシュ州出身のブラフミン[=バラモン]。本名チャンドラ・シェーカル・ティワーリー。ガンディーのサッティヤーグラハ(*3)に参加して、名前をティワーリーからアーザード[解放の意]に変える。
 1922年のチャウリ・チャウラ暴動でガンディーがサッティヤーグラハを停止すると、より過激な独立運動に身を投じラーム・プラサード・ビスミルと接触。ヒンドスタン共和党協会[HRA]の資金調達のためにカーコーリー列車襲撃事件などの国有財産強奪を繰り返す。1928年のサイモン委員会抗議デモの犠牲者となった独立運動家ラーラ・ラージパト・ラーイの復讐のために、同年12月17日にDAV大学にて英国人警官サンダースを射殺。
 逃亡生活中も、ハリシャンカル・ブラーマチャリ名義でウッタル・プラデーシュ州ジャンシを拠点に活動を続け、近郊の人々と射撃訓練を行なっていたと言う。ビスミル達が投獄・処刑されてしまった後、仲間たちとHRAを再編成して社会主義に基づく"ヒンドスタン社会共和党協会[HSRA]"を設立。バガット・シン等の釈放を求めて奔走するも不発。1931年2月27日、友人の密告によってウッタル・プラデーシュ州イラーハーバード[英語名アラハバード]のアルフレッド公園で警察隊の襲撃に遭い、応戦ののち拳銃自殺した。
 現在、ジャンシ近郊のディマルプーラ村は"アーザードプーラ"に名称変更され、アルフレッド公園はアーザード公園と呼ばれている)

・ムスリムのアスラム(クナール・カプール)→アシュファークッラー・カーン。
(*ウッタル・プラデーシュ州のパターン[=パシュトーン]族出身の詩人。市民運動を通して詩人ラーム・プラサード・ビスミルと知り合い、共にウルドゥー詩人として名を馳せ親友となる。1922年のチャウリ・チャウラ暴動でガンディーがサッティヤーグラハを停止した事に失望し、ビスミルと共により過激な革命運動に身を投じる。
 1925年8月29日、運動の資金調達のため、ビスミル指揮のもとラクノウ近郊カーコーリーで列車襲撃して英軍が搬送中の国庫を強奪。その後追跡の手を逃れて長期間潜伏するも、デリーで逮捕されて1927年12月19日に絞首刑に)

・ヒンドゥ保守党員のラクシュマン・パーンデーイ(アトゥル・クルカルニー)→ラーム・プラサード・ビスミル。
(*ウッタル・プラデーシュ州出身の独立運動家にして詩人兼作家。革命家のバーイ・パルマナンドとラーラ・ハル・ダヤルの死刑宣告に怒り、彼らの友人ソムデーヴを師事して独立闘争に参加。彼の元で「アメリカ独立史」をバブー・ハリヴァンス・サハイ名義でヒンディー語訳し出版。革命組織"マトリヴェディ[祖国の祭壇]"を強盗団と組織し、1918年から資金調達のための強奪事件を繰り返す。
 警察の追跡を逃れ身を隠しながら翻訳業を続け、1922年のチャウリ・チャイヤ暴動でガンディーと対立。仲間と共に革命党を設立し、後1924年にヒンドスタン共和党協会[HRA]へ編成。インド各地に「革命宣言」をビジェイ・クマール名義で配布。翌1925年8月29日、仲間8人と共にカーコーリー列車襲撃を実行し逃亡。その後逮捕されて1927年12月19日、仲間のアシュファークッラー・カーン/ラージェンドラ・ラヒリ/タークル・ローシャン・シンとともに絞首刑に)

・厭世的なカラン・R・シンハーニア(シッダールタ)→バガット・シン。
(*旧パンジャーブ州ラルプール県[現パキスタン]出身。1919年に起きたアムリトサル虐殺[ジャリヤーンワーラー広場事件]を契機に独立運動を本格的に開始。ガンディーのサッティヤーグラハに参加するも、1922年のチャウリ・チャイヤ暴動を機に武闘派運動に転身。ラホールの国立大学でラーラ・ラージパト・ラーイの元で社会学を修め、アーザード等と共にHSRAを組織。
 1928年、アーザード等とともに英国人警官サンダース射殺事件に加わりそのまま逃亡し潜伏。翌1929年4月8日にバトゥケーシュワル・ダットと共に国会に現れ傍聴席に爆弾を投下[死亡者なし]。その場で何度も「インクラーヴ・ジンダーバード!(革命万歳!)」を連呼したあげくに逮捕された。刑務所では仲間たちと116日に渡るハンガーストライキを敢行し英国人収容者と同等の権利を主張。刑務所内でレーニンやマルクスを研究しながら自伝を執筆する。国内に多くの支持者を生んで裁判が長期化するも、本人不在の裁判の中死刑宣告され1931年3月23日、絞首刑に。
 遺族への説明なしに死刑が急遽実行されたため、遺族と支持者が死刑後に刑務所に突入して遺体を切り分け、それぞれに持ち帰り火葬儀式を行ったと言う。彼の死はNYタイムズでも報じられた。別名シャヒード[殉教者]・バガット・シン。
 現在パンジャーブ州では、彼が処刑された3月23日をシャヒーディー・メラ[殉教祭]として彼の栄光を祝う祭日にしている。2008年にインド議会にインディラ・ガンジー/スバーシュ・チャンドラ・ボースとともに彼の銅像が設置。同年の雑誌による世論調査「最も偉大なるインド人」ではガンジーやボースを抑える票を集めたと言う)

・お調子者のスキー(シャルマン・ジョーシー)→シヴァラーム・ハリ・ラージグル。
(*マハラーシュトラ州出身のヴェーダ学者。HSRAでは狙撃手として活躍。アーザード等とともに、ラーラ・ラージパト・ラーイの復讐のため1928年12月17日にDAV大学にて英国人警官サンダースを襲撃し射殺する。
 逮捕後、バガット・シン等のハンストに参加して英国人と同等の権利を主張。1931年3月23日、バガット・シンやスクデーヴ・タパルと共に絞首刑に。
 別名シャヒード[殉教者]・シヴァラーム・ラージグル。1953年、彼の栄誉を称えてハリヤーナー州ヒサール県の複合商業施設が「ラージグル・マーケット」と命名された)

・紅一点のソニア(ソーハ・アリ・カーン・バタウディ)→ドゥルガー・バービー。
(*アーンドラ・プラデーシュ州出身の独立運動家にして弁護士兼政治家兼社会福祉事業家。別名レディ・デーシュムク。"バービー"は「姉さん」とか「姉御」とかの意。
 学生時代から政治活動に参加。ガンディーのサッティヤーグラハに賛同して、その活動を積極的に支援し、英領インド政府によって3回投獄された。インド独立後、インド憲法制定会議とインド開発委員会のメンバーとなり、インド初の女性インド準備銀行総裁にしてインド内閣大蔵大臣に就任。熱心な女性解放運動家でもあり、中央社会福祉理事会の創設者かつ視覚障害者支援協会理事長)

…となっている。
 映画は、これら武闘派闘士の起こした事件を再現する形で「アムリトサル虐殺」「カーコーリー列車襲撃」「サイモン委員会への抗議デモ」「英国人警官サンダース暗殺事件」「バガット・シンの国会襲撃」「それぞれの独立闘士の処刑・死亡」までを浅黄色の映像で挟み込んで、後半の現代劇で登場人物たちがおりなす腐敗した現代インド社会への反発とシンクロさせていく。全体的な印象としては、歴史上の革命闘士の熱情に突き動かされる若者像によるニューシネマ的な匂いが濃厚。

 アーミル主演作「ラガーン('01年公開作)」「Mangal Pandey('05年公開作)」に続くインドの独立と団結をテーマにした愛国映画であり、武闘派闘士たちの生き様を通して「国のあり方」「殉国精神がもたらす両義性」が描かれていく。
 前2作が、英領インド時代を舞台にしているのに対し、本作は基本現代劇であり、かつ英国人スーの視点による客観的なインド独立運動の解釈が導入されている(*4)。

 国父と讃えられるマハトマ・ガンディーの非暴力主義の抵抗運動とは異なる、HSRAメンバーによる武力抵抗の意義を問い直してその栄光を賛美しつつ、その上に成り立つ現代のインドへの懐疑、若者たちの殉国の無謀さと情熱を対比的に表現するのは、かなりギリギリ感が漂って見ていて色んな意味でハラハラする(*5)。ラストの学生たちの行動について、賛否両論に議論する同じ学生や社会人たちの熱狂シーンが印象的。
 劇中何度か台詞でも現れるけれど、ダメな国を良くするには結局自分たちの責任において行動を起こさなければならない。それこそが"国に殉ずる"と言う意味である……と言うテーマをどう解釈するか…、それは個人個人で探っていくしかない、もしくは探らなければならないと断言する部分では、単純な愛国精神とは異なる重ーい問いかけが残る読後感の映画。
 インドにおける愛国とか殉国と言うものが、日本で想像されるものとは微妙に違うものである事も色々と考えさせられる感じ。

 にしても、デリー大学の寮ってあんな綺麗でピッカピカなの? それとも女子寮だけとかスーが通されたのは来客用の特別室だったとかあるんでしょか?
 あと、ドラゴンボールや幽々白書のでかいポスターが貼られてるだだっ広くいかにもセットくさいバーも気になる…。


挿入歌 Rang De Basanti (サフラン色に染めろ[愛国の色に!])





受賞歴
2006 National Film Awards 驚異的エンターテイメント人気賞
2006 GIFA Best Film Awards 作品賞・監督賞・助演女優賞(ソーハ・アリ・カーン)・音楽監督賞・作詞賞・脚本賞・編集賞・BGM賞・美術監督賞
2007 Filmfare Awards 作品賞・監督賞・音楽監督賞・批評家選出パフォーマンス男優賞(アーミル)・編集賞・R・D・ブルマン音楽賞・撮影賞
2007 IIFAインド国際映画批評家協会賞 作品賞・助演女優賞(ソーハ・アリ・カーン)・脚本賞・音楽監督賞・作詞賞
2007 Screen Awards 監督賞・助演女優賞(キーロン・ケール)・新人男優賞(シッダールタ)・BGM賞・脚本賞
2007 Zee Cine Awards 作品賞・監督賞・音楽監督賞・作詞賞・ゼニス・パワー・チーム賞(Lage Raho Munna Bhaiと共に)
2007 Star Awards 新人男優賞(クナール・カプール)
2007 Bollywood Movie Awards 助演女優賞(キーロン・ケール)・音楽賞(A・R・ラフマーン)

2012.12.7.
2014.6.7.追記

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*1 ちなみにイスラム教は緑色(インディア・グリーン。パントーン362c)。この2色+白(2宗教の和解の象徴)+法輪でインド国旗は構成されている。
*2 らしい…どれもずいぶん違う色に見えるけど…言葉の響き的には藤黄色も推したい。うむ。
*3 非暴力不服従による独立運動。
*4 物語の発端が、イギリス人側の体験記から始まるのも意味深。
*5 饒舌的すぎるきらいも…ある。