インド映画夜話

Razia Sultan 1983年 159分
主演 ヘーマ・マーリニー & ダルメンドラ
監督/脚本 カマール・アムローヒー
"美こそは我が器。愛こそ我が魂。我は炎の如く。而してその生き様は、空行く蛍にも似て"



*わりと超ネタバレな、ラストシーンダイジェスト。


 時に13世紀のデリー。
 北インドを支配する奴隷王朝第3代スルターン・アルタマシュ(*1)は、息子たちが次代君主に相応しくないとして、娘ラズィーヤに黒人の軍人奴隷ヤクートをつけて武術稽古をさせていた。周囲の人々がラズィーヤと奴隷の仲を勘ぐり後継問題に宮殿が揺れ始めるものの、アルタマシュは意に介さず、娘を武人に育て上げたヤクートを奴隷の身分から解放してアーミル(貴族)に叙する。ラズィーヤとヤクートの両者もまた、それぞれに相手を思い合う日が深まっていく…。

 そんなある日、王朝西部バーティンダ(現パンジャーブ州南部バーティンダ県)総督ジャーニッサール・マリク・ジクティアール・ウッディーン・アルトゥーニヤ(*2)の援軍要請を受けたアルタマシュは、ラズィーヤを伴ってバーティンダへ進軍。そこで地元貴族でもあるアルトゥーニヤと宴を共にするラズィーヤだったが、父からスルターンの代理を託された彼女は、アルトゥーニヤの誘いを断り、戦場へ向かう軍隊を見送った後ヤクートと共に宮殿に凱旋して、代理とは言え王朝初の女帝として国の治安維持に乗り出す。
 しかし、そんな彼女を認めようとしない兄フィローズ・シャーと母である皇后シャー・トゥルカンとの対立は深まり、アルタマシュ凱旋後に正式に「ラズィーヤを後継に選ぶ」と宣言するアルタマシュ・スルターンに王朝内は震撼。その後のアルタマシュ崩御によって、父の遺言を無視する暴君フィローズが第4代スルターンを宣言し、ラズィーヤを殺そうと迫る…!!

挿入歌 Hariyala Banna Aaya Re

 中世インドにおける、デリー・スルターン朝(*3)唯一の女性君主となった、奴隷王朝(*4)第5代君主ラズィーヤ・スルターン(*5)の半生を映画化した、ウルドゥー語(*6)歴史大作。
 同名TVドラマシリーズが2015年に製作されている他、本作に先立つ1961年に「Razia Sultana」と言うヒンディー語映画もあるよう。

 広大な屋外王宮セットを主な舞台として、イスラム世界では珍しい実在の女性君主の活躍を描きながら、親子愛や異性愛に揺れるラズィーヤの心情を、寡黙に静かに描いていく時代劇。
 見る前は、数奇な運命に翻弄されたラズィーヤを題材とした、ヤクートとアルトゥーニヤをめぐる三角関係を中心にした時代劇かなと思っていたけど、実際には恋愛面は匂わせる程度(*7)で、周辺で渦巻く王宮人たちの権謀術策に翻弄されるラズィーヤを、絢爛豪華なイスラム風俗の中で詩的に描いていく映画でございました。
 それなりに史実を脚色しながら大規模な騎馬戦やってみたり、アビシニア(*8)人と言う設定のために演じるダルメンドラを真っ黒にして登場させたりと、当時の雰囲気を再現する目新しさは今見ても健在だけど、その分お話が多少まとまりを欠く感…じ? ラストの持っていき方は、史実とは違うけど、史実を知ってるとより「ああ、こうだったら少しは希望を持てるかもねえ」と思えてくる決着の付け方になっているのが、映画としては美しい(*9)。所々で唱えられる、ウラマー(*10)たちの祈りの調べもまた美しい。

 とにかく、この映画の主役は、物語の大半の舞台となるデリー王宮の広大な屋外セットであり、そこで遠景に数多のエキストラを配置した上で画面に向かって啖呵を切るラズィーヤ演じるヘーマ・マーリニーその人のオーラである。

 そのヘーマ・マーリニー(・R・チャクラヴァルティ)は、1948年マドラス州(*11)タンジャーヴル県アマンクディ村のアイアンガール家系(*12)生まれ。
 映画プロデューサーでもある母親ジャヤ・ラクシュミー・チャクラヴァルティの勧めで、1961年のタミル語映画「Idhu Sathiyam」にダンサーとして出演し映画デビュー。続いて65年のテルグ語映画「Pandava Vanavasam」にもダンサー出演し、68年のヒンディー語映画「Sapno Ka Saudagar」で主演デビューする(元々この映画は、ヴィジャヤンティマーラーに主演オファーしていたものの断られたため、ヘーマ・マーリニーにその席が与えられたそうな)。
 その後すぐに、ヒンディー語映画界で人気の主演女優として活躍していき"ボリウッド・ドリーム・ガール"ともてはやされていく事に。73年には「Seeta Aur Geeta(シータとギータ)」の1人2役でフィルムフェア主演女優賞を獲得。79年には、長年数々の出演作をともにし、ゴシップ的にも騒がれていたダルメンドラと正式に結婚(*13)。本作公開の83年には、他に主演作3本+助演作1本がある。
 90年にTVドラマ「Noopur」の監督&プロデューサーに就任した後、92年には、シャールク主演作「Dil Aashna Hai(心は真実を知る)」で劇場作の監督&プロデューサーデビュー。99年よりヴィノード・カンナの応援のために、パンジャーブ州ガーダスプールのBJP(インド人民党)の政治運動に参加し、党幹部の後援もあって14年の総選挙にて下院議員に選出されている他、動物愛護団体PETAを支持して、その運動にも積極的に関わっている。その他、バラタナティアム(*14)のダンサーとしても活躍し、オリッシーダンサーでもある自身の娘(*15)と共にダンスイベントでも活躍中(*16)。女性向け雑誌「New Woman」編集部を立ち上げて、その活動でも注目される人物である。
 00年には、国からパドマ・シュリー(*17)を授与されている。

 監督を務めたカマール・アムローヒー(生誕名サイード・アーミル・ハイダル・カマール・ナクゥヴィー)は、1918年アグラー&アワド連合州(*18)アムロハのイスラム教シーア派の家に産まれた映画監督兼プロデューサー兼脚本家。父も祖父も映画関係者だったとか。
 ラホールの学校に進学する中で、歌手K・L・サイガルの勧めでボンベイの映画会社ミネルヴァ・フィルム・カンパニーに就職し、38年のヒンディー語+ウルドゥー語映画「Jailor」の原案担当で本格的に映画デビュー。その後、台本担当などをこなしていく中で、49年の「Mahal(大邸宅にて)」で監督デビューする。その独自開発された演出スタイルと映像表現は高く評価され、「映画と言うよりも、セルロイドの交響詩である」と評判を呼んでいく。
 58年に自身の映画プロダクション"カマール・スタジオ"を設立するも、資金難から3年で閉鎖されて別名義に。その頃の61年には、その前年公開の伝説的大作「Mughal-E-Azam(偉大なるムガル)」で脚本を務めてフィルムフェア台詞賞を受賞している。本作は、カマール監督の5本目の監督作にして最後の監督作でもある(*19)。
 私生活では3回結婚しており、最初が女優ナルギスの母の家でメイドをしていたバーノ。彼女が喘息で急逝した後、メフモーディーと言う女性と結婚するも、カマル監督34才の時に出会った女優ミーナ・クマーリ(当時19才)と恋に落ち、メフモーディーとの離婚に続いて52年にミーナと結婚。しかし、この結婚も長く続かず別居状態から64年に離婚することになる(*20)。
 93年にムンバイにて病死。最後の妻であるミーナの墓地の隣に埋葬されたと言う。

 歴史上のラズィーヤは、解放奴隷ヤクート(=ジャマールッディーン・ヤクート)とはスルターン即位後の貴族たちの反乱鎮圧以降から信任を寄せるようになったとか。この2人+アルトゥーニヤの三角関係とその行く末は、史実(*21)の方がより混沌としてるけど、そこが簡略化されてラズィーヤとヤクートの関係変化に注目しているのは、わかりやすさへの配慮とか、不倫とも思える人間関係が避けられたとかの「Mughal-E-Azam」的配慮故ですかねえ。監督自身が、「Mughal-E-Azam」スタッフとして活躍している人と知って見てると、「もう1度あの映画を越える映画を!」って言うカマル監督の熱意と方法論が新たに見えてくるよう。
 アクションシーンもそこそこあるものの、ヘーマ演じるラズィーヤの大立ち回りはなし。剣術修行でスター・ウォーズばりなフェンシング剣術が見られるくらいはあるけども。それでも父王に甘えるラズィーヤや、ヤクートとの秘めた恋愛関係、啖呵切って宰相たちをひれ伏せさせるラズィーヤのカッコ良さ、美しさが十二分に発揮される映画になってるのはスゴい。まさにヘーマ・マーリニーと言う大スターを堪能するための映画になっている。

 史実ではラズィーヤ亡き後、次々と即位するイルトゥトゥミシュ後継のスルターンが、ことごとく宰相たちの傀儡となって王朝の衰退を止めることができず、映画にも登場するギヤースッディーン・バルバンによるバルバン家スルターンに取って代わられる歴史の悲劇と寂獏感も、映画ラストの悲哀の中に表現されているよう(*22)。
 強大な権力も、3代目から崩壊していくと言う歴史上の法則そのものなラズィーヤ前後の時代を見ていると、何百年何千年と血統を伝えていくとか、国家体制を守っていくってのは、本気で奇跡に近い大変な事なんだなあと思えて来てしまいますわ。特に、異民族と言う社会ルールの違う集団が入り交じる地域の人の暮らしってのは、大変だよねえ。

挿入歌 Jalta Hain Badan

受賞歴
1984 Filmfare Awards 美術監督賞(N・B・クルカルニー)


「RS」を一言で斬る!
・自分を奴隷から解放してくれたアルタマシュヘの忠誠のため、ヤクートが自身の身体にアルタマシュとラズィーヤへの生涯の忠誠の声明文を刺青で彫るシーン、それを誇らしげにアルタマシュに見せるシーンは、やっぱドン引きですわ…w(いちおー、アルタマシュも、刺青を命じられた侍女カクンもドン引いておりましたけども)

2017.8.4.

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*1 日本での一般的表記ではシャムスッディーン・イルトゥトゥミシュまたはイレトゥミシュ。
 奴隷王朝を創始したクトゥブッティーン・アイバクの娘婿として、アイバク家に代わって王朝を支配したイルトゥトゥミシュ家初代スルターン。生年不詳〜1236没。在位1211〜1236年。
*2 一般的カナ表記ではマリク・イクティヤールッディーン・アルトゥーニヤまたはマリク・アルトゥーニヤ。生年不詳〜1240没。
 史実では、イルトゥトゥミシュに認められて州長官に任じられ、イルトゥトゥミシュの死後に幼なじみでもあるラズィーヤに助力したことからバーティンダ総督となり、アーミル=ウル=ウルマ(主席貴族)の地位に着く。後にアビシニア人奴隷などの非トルコ系民族を頼るラズィーヤに対して反乱を起こして彼女を捕縛。ラズィーヤに代わってスルターンの地位に着いたムイズッディーン・バフラム・シャーに対抗するため、ラズィーヤと結婚してバフラム・シャー軍と戦うも戦死する。






*3 13世紀初め〜16世紀初めまで、デリーを中心に北インドを支配したイスラム王朝の総称。デリー諸王朝、デリー・サルタナットとも。
 奴隷王朝〜ローディー朝、場合によってはスール朝を入れた5〜6王朝全部を指す。
*4 別名マムルーク・スルターン朝。1206〜1290年まで、北インドを支配したトルコ系マムルークによるイスラム王朝。
*5 本名ジャラーラト・ウッディーン・ラズィーヤ。ウルドゥー語発音だと"ラズィヤー"とも。
 1205生〜1240没。在位期間1236〜1240年。
*6 ジャンムー・カシミール州の公用語で、パキンスタンの国語。主にイスラム教徒の間で使用される言語。
*7 台詞とかで思い切り出てくるシーンはあるけども。
*8 エチオピアの古名。
*9 どちらにしても、ラズィーヤの悲劇には変わりないけど。
*10 イスラム法学者のこと。
*11 現タミル・ナードゥ州。
*12 タミル発祥のラーマヌージャ学派に属する、大規模なローカル・ブラーミン家系。
*13 ダルメンドラはすでに既婚で息子2人がいたものの、それを押しての離婚、ヘーマとの再婚となった。
*14 タミルの古典舞踊。
*15 イーシャー・デーオールとアハーナー・デーオール。
*16 本人曰く、演技よりも舞踊の方が自分の本職だと思っている、とのこと。
*17 一般国民に与えられる4番目に権威ある国家栄典。
*18 現ウッタル・プラデーシュ州とウッタラーカンド州をあわせた連合州。このうちアムロハは、今のウッタル・プラデーシュ州に属する。
*19 その後、「Majnoon」「Aakhri Mughal」と言うタイトルでの監督作を企画し脚本も執筆していたものの、実現しなかった。
*20 ミーナとの結婚生活時に企画された「Pakeezah(純潔)」は、その後ナルギス夫妻の説得によって離婚した両者が和解し、72年にミーナ主演カマール監督作で公開され大ヒット。同年に急逝したミーナの代表作となった。
*21 と言っても史家によって諸説さまざま。
*22 そのバルハン家も、3代続いた後に奴隷王朝そのものを潰され、時代はハルジー朝へと推移していく。