インド映画夜話

スーパー30 アーナンド先生の教室 (Super 30) 2019年 155分
主演 リティック・ローシャン
監督 ヴィカース・バハル
"王の子供は王じゃない"
"王になるのは能力ある者だ"




 2017年のロンドンにて、航空宇宙力学のエンジニアとして表彰されるインド人フッガー・クマールは、その道のりへの感謝を両親とともにある人物へと捧げる…彼の人生を変えた人物、アーナンド・クマール先生に対して…。

 話は、1997年のビハール州都パトナから始まる。
 若き日のアーナンド・クマールは、ベナレス大学図書館にある数学の学術誌を読みたいがために、その雑誌に載っていた世界で誰も解けない数学の難問を解明して雑誌に寄稿。その論文が認められて、雑誌の定期配達の権利を勝ち取り、さらに英国のケンブリッジ大学への入学も許可され、家族総出でお祝いしていた。

 しかし、郵便配達夫の父親の稼ぎでは英国への渡航費用も出せず、頼みにしていた地元大学の数学大会優勝賞品である大臣の金銭援助の確約も反故にされ、さらには父親が心労で病死した事で、アーナンドは留学の夢を諦め、自家製パーパル(別名パパド。南アジアの軽食)売りで生計を立てるしかなくなってしまう。
 そんなアーナンドの窮状を偶然発見した大学の先輩ラッラン・シンから、彼の設立した大学予備校の講師の仕事を斡旋されたアーナンドは、すぐに合格率を跳ね上げる名物講師として人気になり、家も裕福になっていく。
 そんなある日、宴会から抜け出したアーナンドの目に、学校を辞めつつも数学を勉強する少年の姿が飛び込んできた。彼の父親は、アーナンドに息子のことを愚痴り始める…「勉強なんかしても無駄だ。神話の時代と同じく、今でも王の子供だけが王になる。先生方は王の味方なんだから…」

 その数日後、アーナンドは周囲の反対を抑えて予備校を辞め、貧困故に学問の道へ進めない学生を30人集めた無料の大学進学塾を始める…!!


プロモ映像 Niyam Ho ([世界の新たな] 掟だ)


 実在の数学者であり無料進学塾の教師であるアーナンド・クマール(1973生〜)の半生をもとにした、ヒンディー語(*1)映画。
 2019年度ヒンディー語映画最高売上を達成した1本。
 同じ題材として、本作に先駆けてスーパー30を取材した米国のドキュメンタリー映画がある他、カナダのドキュメントTV番組「Witness」にもスーパー30取材回が存在するそうな。

 インドより1日早くアラブで、インドと同日公開でオーストリア、オーストラリア、ドイツ、デンマーク、フランス、英国、インドネシア、アイルランド、ニュージーランド、米国でも公開されたよう。
 インド公開からすぐに、舞台となるビハール州を始め複数の州が本作を讃えて免税措置での公開を決定している。

 日本では、2022年に一般公開。モデルとなったアーナンド・クマール本人来日の上で招待上映イベントも開かれていた。23年の渋谷インド映画祭でもアンコール上映。24年の大阪の第七藝術劇場と扇町キネマ開催のゴールデンウィークインド映画祭でも上映されている。

 タイム誌やニューズウィーク誌が取り上げた事で世界的に広く知られ、その偉業が称えられる実在の進学塾が生まれた経緯を描く映画で、最後にクレジットされるが如く、教育の重要性、名もなき教育者たちの仕事の偉大さを謳いあげる1本。

 ビハール州という、インド国内にあって学習環境が特に整わず、貧困層がそのまま取り残されてしまっている環境の中で、1度はその学問の道を断たれて夢を諦めた人物が、同じ状況の子供たちを救うために一念発起する前代未聞の教育改革へと突き進む、そのどこまでも前向きな姿が印象的な映画。
 やはり本作も「こんな実話があるなんて」と驚愕し、感銘を受けずにはいられない事実をもとにしているという1点において、素晴らしく印象的であり、インドの教育とその環境整備、それに対する人々の熱狂の高まりの凄まじさを考えずにはいられない。振り返って日本の状況を考えると、義務教育が完備されている社会であるはずなのに、より深刻で問題解決の道筋の見えない環境になっている事への疑問も出てきてしまう。皆が望む「知る事」「実践する事」「より良き未来へ変える事」がなぜここまで過酷なものとなってしまうのか。知の力を素直に信じられるインドは、それだけ元気だという事なのかなあ…とか、余計なことも考えてしまいますわ。

 日本では想像もできないほど深刻な格差社会、生まれで人生が決定されてしまう状況にあって、それでも学ぶ意欲としたたかさを持って学問を続けていく人の姿、その過酷な状況でも学ぶことを希望とする人々の強さは特に印象的。
 日本でこれほどまでに「学びこそ力」を信じられる人がいようか、と思えるほどに、本作における学問(特に数学)、大学への希望は無条件に高く、大学を出た人々への尊敬の眼差しは計り知れない。世界的にもインドの教育エリートへの期待と羨望は高まる一方であることを意識してかどうなのか、あらゆる点で優秀さを発揮するインドの教育エリートを目指さんとする人々の期待は、そりゃあ遥か天を越えてそそり立つもんですわなあ…。
 劇中では、そうした教育熱に浮かされる教育ビジネスの節操のなさ、厚かましさも表現され、世間一般の「金を稼ぐ人こそ偉大」とする拝金主義への当てこすりも、無料進学塾への対比としてガッツリ描かれてはいる。
 そんな「持てる者」も生活を経験したアーナンド先生が、1度は見捨てて当然とした「持たざる者」に立ち戻り、教育の力によって「持たざる者」の悲劇を繰り返さないように奔走する姿、その生徒達に立ちはだかるありとあらゆる壁の存在は、なにもインド特有ということもなく、見てるこっちの足場を揺るがすかのよう。
 日本人の身としては、大学に入る事がインドと同じくステータスにはなると言っても、インドほどに「大学卒業生」に夢を見れる状況を想定できない日本というものにもいろいろな疑問を持たざるを得なくなるから困る。
 それは、学歴に関係なく人生を生きられる社会の実現を目指した結果でもあるわけだけど、じゃあ社会をより良く変革させる鍵はなにになるか、教育そのものに本気で未来を見てる人がどれほどいるのかを考えると……インド人の見ている希望の方がまだ正常なのかもしれないと思ってしまうほどには、ニヒリズム的にしか未来を見れない日本の姿を見てしまう。

 教育改革に殺し屋を送り込むインドの現実(*2)も「嘘でしょ!?」と言いたくなる悲惨な現実の姿であるけれど、学ぶ事、教育エリートを作り出す事に希望を見出せない社会もどこか歪であるとも意識してしまう。
 学んだ事を殺し屋の撃退に実践する生徒達の活躍は、映画的と言わば言えで、学びの実践によって物事を変えていく力を見せつけていく象徴としてよくできたシーンでもある。
 今の日本でも、厳しい現実を見続けている子供達にも「研究者になる」「宇宙開発に携わる」という夢を本気で見ていってもらいたいとも思うし、それを笑う事なく実践に向かうように導く教育の道筋があってほしいとも願う。その実践のあり方を問うような映画でありましょうか。



挿入歌 Question Mark(クエスチョンマーク)




受賞歴
2020 Mirchi Music Awards 歌曲エンジニア(録音&ミキシング)賞(ヴィジャイ・ダーヤル)
2020 Zee Cine Awards 主演男優賞(リティック・ローシャン)
2020 ETC Bollywood Business Awards 100カロール・クラブ入り
2020 Dada Saheb Phalke Film Festival 作品賞・主演男優賞(リティック・ローシャン)


「スーパー30」を一言で斬る!
・意欲ある生徒を選抜につぐ選抜で教育エリートに育てて社会変革を目指すインドと、意欲のない生徒にこそ手を差し伸べて全体の知的レベルの底上げで社会変革を目指す日本。結局どちらがより良い社会を生み出すんかねえ…(時代・社会構成員・社会状況・必要とされる知性の在り方でだいぶ答えが変わる、永遠に正解の出ない問題ですわ)

2023.5.19.
2024.4.13.追記

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*1 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある。
*2 しかも、終わった話ではなく現在進行形…!!