インド映画夜話

詐欺師 (Shree 420) 1955年 168分
主演 ナルギス & ナディラー & ラージ・カプール
監督/製作 ラージ・カプール
"それでも、僕の心はインド製"




 一旗揚げようと、村から大都市ボンベイ(現ムンバイ)に出てきた青年ランビール・ラージ。
 だが、文学修士で村の孤児院主催正直者大会優勝メダル持ちの彼でも、そう簡単にボンベイで仕事にありつけない。メダルを質入れして手に入れたお金もあっさりスられ途方に暮れる彼は、海岸で私塾教師ヴィディヤーと知り合う。

 当初は、ヴィディヤーに浮浪者と間違えられて喧嘩になる2人だったが、身の上を語り合う中で惹かれあい、共に貧困から抜け出そうと協力を約束するように。
 しかし、都会人の中で上手く立ち回れないラージはなかなか現状を打破できず、ヴィディヤーとの仲も進展できないまま。そんな中、クリーニング店の仕事で高級ホテルに品物を届けに行ったラージは、部屋にあったトランプで札を巧み操る技を披露したことをきっかけに、その部屋の客マーヤーに「もう貧乏な仕事なんて忘れてしまいなさい。これからは巨万の富があなたを待ってるわ」と社交界主催のパーティーでのディーラー仕事を斡旋される…。


挿入歌 Mera Juta Hai Japani (オイラの靴は日本製 [ズボンは英国製でこの赤帽がロシア製、それでも心はインド製!])

*往年ボリウッドソングの代表として謳われる、インド人の愛国心をくすぐる一曲。あまりにも有名な歌のため、後世さまざまな映画や楽曲でオマージュが捧げられている(*1)。
 安価な外国製品を買う奴は売国奴だ! …と糾弾する右翼系富裕層のスローガンがまかり通っていた当時に、庶民の声を代弁して切り返してきた名曲でもある。


 ヒンディー語(*2)タイトルの意味は「聖なる420条様」。
 インド刑法420条、詐欺行為に対する罰則をかけられた犯罪者の意味(*3)。アルファベット表記では「Shri 420」とも。
 後の1992年のヒンディー語映画「ラジュー出世する(Raju Ban Gaya Gentleman)」は、本作からの影響を大きく受けたリメイク作であると指摘されている。

 監督兼主演を努めたラージ・カプールの代表作の1つであり、55年度最高売上を記録したボリウッド(*4)作品。挿入歌"Mera Juta Hai Japani (オイラの靴は日本製)"は、当時の新たな愛国歌として広く人気を勝ち得たと言う。
 インドの他、ブラジルやハンガリーでも一般公開された他、旧ソ連圏でも人気なよう。日本では福岡市総合図書館収蔵作で、「詐欺師」のタイトルで何度かイベント上映されている他、Prime Videoなどでは「Shree 420」のタイトルで配信されている。

 「白痴」の主人公のような無垢な正直者主人公が都会の波に洗われる中で、その純粋さ故に貧困から抜け出せず、違法賭博と言う嘘にまみれた世界で自分を見失うことでしか金持ちになれない様を物悲しく・滑稽に描いていく物語は、そう言った憎っくき富裕層の俗悪性を糾弾する別の嘘を仕掛けることによって、再び主人公が元の貧しい正直者に戻ることで完結する。

 そのヒョコヒョコした動きは、ラージ・カプール自身が大ファンだったというチャップリンを明らかに意識したもので、1発目のミュージカル"Mera Juta Hai Japani"からその詩情豊かな会話術・どこか飄々として憎めない主人公の性格を表して、人に好かれる無害な正直者を嫌味なく魅せていく。金こそすべての大都市ボンベイにあっても、主人公はすぐ路上物売りや物乞いと仲良くなり、ホームレス生活を強いられる労働者や芸人たちを相手に、すぐ打ち解けて憎まれ口を叩き合う仲になる、その気さくなやりとりに含まれる不況下に生きる人生観こそが、一見愚かに見えつつも真実を語る「Shree=聖者」になるであろう予兆と見ることも可能か。

 その主人公ラージ役と本作の監督を兼任しているのは、映画一族カプール家出身の名優ラージ・カプール(生誕名ランビール・ラージ・カプール)。
 1924年英領インドの北西辺境州ぺシャーワル直轄領(*5)生まれで、父親は演劇界と映画界双方で活躍していた大スター プリトヴィラージ・カプール(*6)。弟にやはり男優となったシャシ・カプール、シャンミ・カプールがいる。
 30年代から父親の劇団についてインド各地を点在しつつ舞台演劇を経験。1935年の父親主演ヒンディー語映画「Inquilab」で映画子役デビューし、47年の「Neel Kamal(青い蓮)」で主演デビューする。翌48年には、若干24才で自分の映画プロダクション"R.K.フィルムズ"を設立。その第1号作品として、主演作「Aag(炎 / 48年公開作)」で監督&プロデューサーデビューも果たして、以降もヒンディー語映画界で男優兼監督兼プロデューサーとして活躍。「ボリウッド最大の興行師」「インド映画界のチャップリン」などとも呼ばれ、アジア全域(日本は除く)〜旧ソ連圏〜アフリカにまでその名声は広がっていった。
 映画製作を通じてその工程全てに精通し、3本目の監督作「放浪者(Awaara / 51年公開作)」はカンヌに出品されて作品賞ノミネートされ、監督作4作目となる本作でナショナル・フィルムアワード注目ヒンディー語映画賞を獲得。息子たちをはじめ数々の映画人を世に送り出し、多数の伝説的傑作を生み出していく。65年には、モスクワ国際映画祭にて審査員も務めている。
 46年の結婚によって、義理の弟になったラージェンドラ・ナート、プレーム・ナート、ナレンドラ・ナート、妹ウマの夫プレーム・チョープラも映画男優として活躍。自身の息子の長男ランディール、次男リシ、三男ラジーヴも男優として銀幕を飾り大スターへと成長していった。
 1988年、長年患っていた喘息から来る合併症により、1ヶ月の入院の後物故。享年63歳。その当時製作中だった息子リシ・カプール主演映画「Henna」は、その後息子ランディール・カプールが監督業を引き継いで91年に公開させている。

 「正直」メダルを売ったことで自分を見失う主人公ラージを、共に助け合おうと申し出て来るヒロインの名前が「ディヴィヤー(学問の意)」。その主人公を誘惑し利用しようと企む悪女が「マーヤー(幻想の意)」となってるのも意味深というかあからさまというか。貧困によって私塾が立ちいかなくなり、家にある辞典を売らざるを得なくなったディヴィヤーが「私のディヴィヤーを売るの」と言い出す悲しさたるや、もう…。独立してまだ10年経たないインドにおいて、社会的にも政治的にも混乱する世の中に対しての強烈なメッセージでもありますかねえ…。

 本作の印象的な点は、その物語以上に白黒画面をきっちりコントロールするその明暗表現の綺麗さもある。
 ダークトーンながらみすぼらしさを強調するグレー衣裳の主人公が、ブラックドレスに身を包むマーヤーの誘いにのってディーラーになるためにブラックスーツに身を固める時の表情の変化具合。その主人公が金にあかせてヒロインに贈るブラックサリーの美しさ。それを拒絶して別れを切り出すヒロインの本心が身体から浮かび上がるミュージカル"O Janewale (ああ、行ってしまうのなら)"でのヒロインの心の声が白一色で表されるのを強調する、現実世界のダークトーンさ…。さりげない日常劇カット1つ1つにも、画面をコントロールする白黒演出の妙が生きている画面構成力も注目所でっせ。特に、主人公演じるラージ・カプールの眼の輝き具合が、時に美麗で時に妖艶になるところなんざ…!!

挿入歌 Ramaiya Vastavaiya (ラーマはきっと来る)

*一部の人によって独占される富を使って開かれる俗悪に満ちた社交界と対比する形で、ラージがボンベイ初日の夜を共に過ごしたホームレスの労働者たちが集まる寝床で開催されるお祭りの喧騒。そこに現れる人々の幸福感の違いが、なにに起因するものなのか…!!
 もともとこの歌タイトルはテルグ語民謡に由来するそうで、ラーマ生誕祭の決まり文句だそう。


受賞歴
1955 National Film Awards 注目作品功績証賞
1957 Filmfare Awards 撮影賞(ラドゥー・カルマカル)・編集賞(G・G・マイエカール)


「S420」を一言で斬る!
・東京からの商談の電話に、なんでカタコト中国語(?)で会話してんでしょうねえ…イイゾモットヤレー(棒

2020.10.9.

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*1 2016年のハリウッド映画「デッドプール(Deadpool)」にも登場しているそうな。



*2 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*3 この場合の「Shree」は「ミスター」の意味でもあるらしいので、単純に「420条氏」くらいの意味でもある。劇中の台詞で出て来る時はこちらの意味で使われている。
*4 ヒンディー語の娯楽映画界に対する俗称。
*5 現パキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州都。
*6 映画一族としてのカプール家創始者。