インド映画夜話

サラーム・ボンベイ! (Salaam Bombay!) 1988年 113分
主演 シャフィーク・サイード
監督/製作/脚本 ミーラー・ナーイル
"心配するな。いつか…いつかインドは住みやすい国になるだろうさ"

むんむん様企画のなんどり映画倶楽部25にてご紹介頂きました!
皆様、その節はお世話になりました。なんどりー!






 カルナータカのアポロ・サーカスの下働きの少年クリシュナは、団長に命令されたお使いから帰って来たその時、サーカス団が跡形もなく消え去っている場に立ち尽くしていた。
 置いてけぼりにされたクリシュナは、なけなしのお金で大都会ボンベイを目指し、チャイ売りの仕事で日銭を稼ぐ事に。彼が暮らすボンベイのスラム街は、貧困と暴力、行き場を失った人々の吹きだまりでもある…

 クリシュナに絡んできては金儲け(巻き上げ?)の仕事をふっかけるストリートチルドレン。
 ネパールから売春宿に売られて来た、ヒンディー語のしゃべれない"花の16才"。
 ヤクの売人であり中毒者の、ボンベイでのクリシュナの兄貴分チラム。
 一帯の売人の元締めであり、娼婦たちのヒモ バーバー。
 そのバーバーの愛人でもあり、娘マンジュを溺愛する娼婦レーカー。

 明日をも知れぬスラムの晩、チラムはクリシュナに尋ねる。
「それでお前、空気のいい田舎へ帰りたいか?」
「500ルピー貯めたらすぐにね。500ルピー稼げば、家に戻ってもいいって母さんが言ったから…」





  "サラーム"はアラビア語での挨拶の言葉。"ボンベイ"は、西インドのマハラーシュトラ州にある国内最大の商業都市ムンバイの旧名称であり英語名称(*1)。
 インドのオリッサ州出身で米国ハーバード大学卒のドキュメンタリー作家、ミーラー・ナーイルの初めて手掛けた劇映画であり、インド国内外でも滅多に実現しない本物のスラム街やストリートチルドレンにカメラを向けた映画であり、監督がその名を一躍世界に広めた傑作でもある。トロント国際映画祭で上映されるや評判を呼んで世界的にもヒット。当のインドでも大きな話題を呼んだと言うから素晴らしい。
 2011年には、ニューヨークタイムズの「歴代映画ベスト1000」に選出されている。

 当時、ドキュメンタリー監督だったミーラー・ナーイルが、長年温めていた企画を元に、大学時代からの親友スーニー・ターラープルワーラー(*2)と共にボンベイでの2ヶ月に渡る取材を経て脚本を仕上げ、本物のスラム、本物の売春宿などボンベイの下町を舞台にして、実在のストリート・チルドレンを集めたオーディション〜演技指導を敢行。130人もの子供たちの中から選ばれたシャフィーク・サイードを初めとした子供たちの生き生きとした演技、絶望的状況下でそれでも暮らしていく生活力と生命力、華やかな経済都市の裏側にある暗く濃い人間関係と、通常は日の目を見る事もない環境下でうごめく人々のその惨状を描き出す一本。

 映画製作に際して、文字を読めない子供たちに対して台本には絵が添えられ、毎日の出演料の半分がそれぞれの子供名義の定期預金として確実に子供たちが自由に使える資金として貯蓄され、映画の利益を元に"サラーム・バーラク(こんにちは子供たち)"基金が作られてストリート・チルドレンに対する教育・医療・自活の道を構築していったと言う。
 もうここまで来ると、劇映画1つの話に留まらず、映画製作を中心にした社会活動であり、社会改革でもある。本作以後のミーラー監督作も基本この流れを踏襲する形で、映画製作と公開〜ソフト販売と言う商業行為とそこからリンクする社会活動の相互の両立、描かれるテーマに沿った社会運動に結びつく形での映画の存在意義を問う視点、その人やお金の動きやサイクルは「映画作りとはなんぞや」「もの作りの意味とは」を問い続ける、かなり考えさせる活動ではある(*3)。

 劇中、クリシュナはストリートチルドレンや"花の16才"、チラムを慕い、一方で故郷の母を憶う。
 チラムはクリシュナに友情の証しとして自分の秘密(隠し金庫の場所)を打ち明ける。
 バーバーは鬱憤を他人にぶつけ続けながら、ぶつける相手がいなくなると途端に弱気になって人にすがりつこうとするし、娼婦レーカーは娘が側にいなければ絶望に負けかねないにも関わらず、仕事中は絶対に娘を寄り付かせないし、政府が引き取った方がいいと言う提案を拒否できない自分を見つけてしまう。
 レーカーの娘マンジュは売春宿の中でわがままにたくましく育ちながら、常に「遊び相手がいない」と嘆いているし、人身売買によってネパールから売られてきた"花の16才"は、差し伸べられたクリシュナ頼りない手に最初こそすがりつくも、周囲の大人たちによって娼婦へと作り替えられていく…。
 そこに描かれる人間関係の連鎖は、そのままスラムの貧困と社会問題の連鎖の象徴であり、なおかつ「サラーム・ボンベイ!」と言う映画作品が人に見る・見られる事によって"何か変わるだろうか""何かを変えられえるだろうか"と言う問いかけにもなっていく。
 絶望的状況下にあって、人はチラムとクリシュナのように"自分を人に知ってほしい"ように行動し語り合い、秘密を共有する事でそのつながりを強化しようとする。たとえそれが一時的なものでしかなかったとしても、そのつながりがあった事で事態は何かしら変化するかもしれない……ドキュメンタリー映画と言うものを通して映画を見て来たミーラー監督たちが、この暗くドロドロした現実を映す映画の中で、そんな視点まで踏み込んでいるかのようでは、ある。





受賞歴
1988 カンヌ国際映画祭 観客賞・カメラ・ドール(新人監督賞)
1988 National Film Awards(印) 期待のヒンディー語映画賞・子役賞(シャフィーク)
1988 米国 ナショナル・ボード・オブ・レビュー 外国映画賞
1988 ロサンゼルス映画批評家協会 新世代賞・外国語映画次席賞
1988 ロサンゼルス女性映画祭 リリアン・ギッシュ期待の映画作品賞
1988 カナダ モントリオール世界映画祭 審査員賞・人気賞・キリスト教団体選出賞

1989 ボストン映画批評家協会 外国語映画賞




「サラーム・ボンベイ!」を一言で斬る!
・毎日が生きるための戦いのストリートチルドレンやスラムの住人が、それでも映画館に通い映画の歌を歌い合って笑い合う。そう言う現実もまた存在するのね…

2015.5.29.

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*1 今でも、ボンベイで通じるみたいだけど。
*2 本作で2人で脚本を担当。
*3 もちろん、娯楽には娯楽の意味があるので、全てがこう言う映画になれってことでもないけれど。