Sri Krishnarjuna Yuddhamu 1963年 167分
主演 N・T・ラーマ・ラオ & アッキネンニー・ナーゲスワーラー・ラーオ & B・サロージャー・デヴィ
監督/製作/脚本 K・V・レッディ
"ああクリシュナよ、貴方のお怒りを目の当たりにさせられるほどの、どんな罪を私たちは犯したと言うのですか"
挿入歌 Anni Manchi Sakunamule
今日もまた、騒動絶えない地上界を目指してナーラダ(*1)が天界から到来する。
地上のドヴァーラカー王宮(*2)では、クリシュナと妻ルクミニーがスバドラー(クリシュナの妹)の婚約について話し合っていた。そこに訪れたナーラダはクリシュナに天界の花パリジャタを与え「一番大切な人に贈ると良い。その持ち主は世界から崇敬されるだろう」と語り、クリシュナはすぐに隣にいるルクミニーの頭に花を飾る。
それを影から見ていた侍女は、この事を主人サティヤバーマ(別名サトラジティ *3)に告げに走る。事の次第を聞いたサティヤバーマは、自分こそがクリシュナを1番愛しているのにと激怒してしまい…!!
一方、クリシュナの兄バララーマ王は、王妃レーバティの反対を押し切って妹スバドラーの結婚相手をクル王国の百王子の長ドゥルヨーダナにしようとクリシュナ、ナーラダの前で宣言していた。
熟考するクリシュナは、当のスバドラーがアルジュナ(*4)を思って泣いているのを見て「貴女とアルジュナが結婚できるように取り図ることを誓おう」と約束する。しかしその一方、旅立ったナーラダが、その途上で出会ったアルジュナに「スバドラーの婚約者がドゥルヨーダナに決まったぞ」と伝えてしまったため、すぐさまアルジュナは苦行僧に姿を変えてドヴァーラカーに潜入。バララーマ王からの歓待を受けて、侍女にスバドラーを遣わされることになる…。
挿入歌 Manasu Parimalinchene
1890年に初演されたテルグ語(*5)演劇「Gayopakhyanam (別題 Prachanda Yadavam / 荒れ狂うヤーダヴァ族の王 : 聖クリシュナ)」の映画化作品。
1934年のヒンディー語(*6)+マラーティー語(*7)映画「Krishna Arjun Yudh」のリメイク作とも。
インド映画史に輝く人気作、1957年のテルグ語映画「Mayabazar(幻影競演劇)」を監督したK・V・レッディによるテルグ語白黒神様映画。
後に、カンナダ語(*8)吹替版、タミル語(*9)吹替版も公開。
叙事詩マハーバーラタで描かれるクルの王統争いの時代を舞台として、映画が描くのはアルジュナのスバドラー略奪婚伝説の顛末。
舞台演劇が原作なだけあって、物語は動的シークエンスが少なく、それぞれの舞台に集まる登場人物たちがイチャイチャしたり言い争ったりする話芸で主に展開し、スバドラー略奪婚も特に逃亡劇とかチャンバラとかない、王様の決めた物事に反抗する若い恋人たちの仕掛ける口八丁の騙し合いを主とした話芸コメディとして描かれている。
クリシュナにしろバララーマにしろ(*10)、王族として1つ1つの台詞は全て有言実行を強いられる重要なワードとして扱われ、もしそれが実現しなければそれだけで「一度口にした言葉を実現もできないとるに足らない存在」と扱われて権威が失墜するのが必定。だからこそ、人前で宣言したことを何が何でもそのまま実現しようとすればするほどに、周りを巻き込んで混沌とした状況に陥ってしまう様を笑う大衆演劇的な空気が濃厚な映画でもありましょうか(*11)。
ま、クリシュナたちはともかく、王族出身のはずのアルジュナなんか苦行僧に扮してバララーマをはじめとするドヴァーラカーの人々を騙していく様を楽しんでたり、スバドラーと一緒になって王様をおちょくって自分たちの好きに生きようと歌い上げるところなんかは、チャキチャキの江戸っ子が権力者を囃し立てつつ小馬鹿にして陥れる様を楽しんでいる民衆代表のような快活さで「それでええんか!」って言いたくはなる。
そのアルジュナとクリシュナは終始師弟とか仲の良い兄弟関係で、タイトルのような争いなんか起きそうにない状態なのが「?」とか思っていると、映画後半にアルジュナとスバドラーの結婚が終わった直後に、クリシュナの太陽拝礼の儀式を邪魔したガンダルヴァ仙ガヤが原因になって急に2人が言い争いを始め(*12)、両者ともに「ガヤを殺すと宣言した!」「ガヤを命をかけて守ると誓った!!」と言葉を引っ込められないまま一騎討ちに突入するという急展開。
スバドラーの略奪婚以前に挟まれる、サティヤバーマの嫉妬からくるクリシュナとの言い争いが、後半と対象関係に配置されているのはわかるとはいえ、全部で3つのお話を結構強引に結びつけている無理やりな語り口が微笑ましきかな(*13)。なにはなくとも、トリックスター的な放浪神ナーラダがいちばんの元凶であり、その混乱を楽しんで空中で舞い踊りしてる姿の憎たら微笑ましいこと。
なんと言っても本作で一番印象的なのは、これでもかとその美しさ・可愛さをアピールしまくったスバドラー役のB(バンガロール)・サロージャ・デーヴィー(またはサロージャ・デーヴィー・B)。
1938年マイソール藩王国バンガロール(*14)のヴォッカリガ家系(*15)生まれ。
警察官の父親の勧めでダンスを習い始め厳しく躾けられる中、13才時に彼女の歌を見たB・R・クリシュナムルティによって映画オファーを受けるも一旦拒否。その後の53年のタミル語映画「Karkottai」で映画デビュー(?)後、55年の大ヒット カンナダ語映画「Mahakavi Kalidasa」で本格的に女優デビューする。57年には「Panduranga Mahatyam(パンドゥランガの栄光)」でテルグ語映画デビューする一方、タミル語映画界のスターMGRの後推しを受けて58年のタミル語映画「Nadodi Mannan(放浪の王)」で主演デビューして一気にスター女優に。MGR映画の常連主演女優となって"ラッキー・マスコット"の愛称で呼ばれるようになる他、59年の「Paigham(知らせ)」でヒンディー語映画にもデビューする。以降も、60年代を中心にこの4言語映画界で活躍。67年の結婚で一時引退を考えていたというものの、財政危機を助けた夫からの助言を受けて女優業を継続。84年まで主演女優として活躍して「最長主演歴女優」として知られるようにもなり、その中でも60年代前半ではタミル語映画界で最高人気女優に、70年代前後ではテルグ語とカンナダ語映画界で最高収益女優に君臨する。
65年のアビニヤ・サラスワティ功績賞や69年のタミル・ナードゥ州映画賞主演女優賞(*16)受賞を始め、数々の映画賞・功労賞を贈られていて、69年にはパドマ・シュリー(*17)を、92年にはパドマ・ブーシャン(*18)が贈られた他、10年にはパフォーマーたちに贈呈されるパドマ・ブーシャン・B・サロージャ・デーヴィー国家賞が設立されている。
出演作数は減ったとは言え、90年代以降も女優業で活躍し続け、映画の他では2020年にタミル語TVシリーズ「Kodeeswari」にも出演している。
スバドラーの恋人役であり「マハーバーラタ」の主人公であるアルジュナを演じたのは、1923年英領インドのマドラス管区ラーマプラム(*19)に生まれた、アッキネンニー・ナーゲスワーラー・ラーオ(*20)。
農家で生まれ育ち、10才で学校を辞めて劇場で働き始める。主に女形として舞台演劇で活躍し、映画監督兼プロデューサー兼男優のガンタサーラ・バーララーマイヤーに見出されて、41年のテルグ語映画「Dharma Patni(主婦)」に端役出演して映画デビュー。44年の「Sri Seeta Rama Jananam(聖なるシータとラーマの誕生)」で主演デビューする。
主に神様映画で活躍しながら、51年の主演作「Tilottama(ティロッタマー)」の同時製作タミル語版「Mayamalai」でタミル語映画デビュー。53年のテルグ語・タミル語同時製作版「Devadasu(デーヴダース)」で一部批評家から絶賛を浴び、ベンガル文学のデーヴダース映画化作品中最高傑作と評される。58年には「Suvarna Sundari(輝かしき美女)」でヒンディー語映画デビュー。66年のテルグ語映画「Navaratri(九夜祭)」では1人9役を演じた2人目のインド人俳優となり(*21)、数々の大ヒット作を生み出していく中、70年代後半頃からアーンドラ・プラデーシュ州内製作映画にのみ出演するようになって、活動拠点をハイデラバードに定め、76年にハイデラバードに妻の名を冠した映画スタジオ"アンナプルナ・スタジオ"を設立。テルグ語映画産業の礎を築いて行った。
社会活動にも積極的に関わっていて、故郷ラーマプラム開発促進のため"アッキネンニー・ジャンマブーミ・トラスト"を設立し、橋や浄水場を建設してその雇用を生み出していく。その他、映画産業促進のための"国際アッキネンニー財団"や"アンナプルナ映画&メディア・インターナショナルスクール"、GITAM(ガンディー工学&商業研究大学)奨学金制度、"アッキネンニー・アンナプルナ・トラスト"なども設立。彼の名前にちなんで創建されたアッキネンニー・ナーゲスワーラー・ラーオ大学の終身理事会員や、アーンドラ芸術大学演劇コース顧問にも就任している。
64年の「Dr. Chakravarthy(ドクター・チャクラヴァルティ)」でナンディ主演男優賞を獲得したのを皮切りに、多数の映画賞・功労賞を獲得。68年には国からパドマ・シュリーを、88年にはパドマ・ブーシャンを、2011年にはパドマ・ヴィブーシャン(*22)を贈呈されている。
2014年公開作「Manam(我ら)」撮影中の2013年10月に胃がんと診断され、大規模な腹腔鏡手術を受けるも、撮影終了後の2014年1月に物故される。享年90歳。アンナプルナ・スタジオでの葬儀では、数千人の人々が弔問に訪れその功績を称えていた。
2011年に物故された妻アンナプルナとの間には、男優アッキネンニー・ナーガルジュナ・ラーオを始め5人の子供がいて、その孫に男優ナーガ・チャイタニヤー(*23)、男優アキル・アッキネンニー(*24)、男優スシャント(*25)、男優スマント(*26)がいる、映画一族ダッグバーティ=アッキネンニー家を形成している。
本作と同じK・V・レッディ監督作「Mayabazar」で、クリシュナ神役として不動の人気を獲得したN・T・ラーマ・ラオ。
そのK・V・レッディ監督に設立当初の"アンナプルナ・スタジオ"での映画製作を請け負ってもらっていた人気絶頂期のアッキネンニー・ナーゲスワーラー・ラーオ。
この2大テルグスターの対決という、怪獣映画もかくやの大規模アクションになるかと思えば、基本的には話芸コメディによる恋愛劇とそれを茶化す宮廷人たちの諧謔に満ちたユーモア劇が続いていく。幸せな結婚が終わった後に突如勃発するクリシュナとアルジュナの対立を、映画前半ではクリシュナに説得される側だった登場人物たちが逆にクリシュナとアルジュナを説得してくる逆転劇が面白いわけだけど、最初に見ていた英語字幕版はなぜかアルジュナの出陣をもって「The End」と急に幕を下ろし、主題である2人の対決を丸々カットしたものだったのが吃驚仰天。
オリジナル版を確認すると、その後しっかりクリシュナ軍VSアルジュナ軍の対決が描かれているんだけど、基本2人の(歌を混ぜた)口論で始まり、続いて神弓の打ち合いによる(わりとチャチい)特撮幻力対決になっていた。
なんでカット版が存在するのかは良くわかんないけど、2大スターの力関係の影響とか、特撮のショボさを隠すためとかあった…のやろか? わりと重要らしい2人の口論部分の意味が理解できない身では、ただ邪推するしかなくて歯がゆいものよ…。
最終的に、神弓の打ち合いによって天変地異が起こる地上界(*27)に対し、それまで「ヴィシュヌの意思を止めることは誰にもできない」と介入を避けていたシヴァ神が突然現れて両者を速攻で説得した上で争いを静めていたのが、なんともデウス・エキス・マキナ。
クリシュナ物語の1派生系であるこの物語にあって、無視されていたかのようなシヴァ派ヒンドゥーの威力を見せつけるための措置……とかだったんかな。北インド系アーリア人たちの中で人気のヴィシュヌ派に対する当時の政治背景の匂わせ……とかあったんだろかどうだろか。言葉がわからない身では、邪推しかできんとですよジャイ・クリシュナルジュナ!
挿入歌 Swamula Sevaka Velaye
「SKY」を一言で斬る!
・火神アグニがダンダカの森を燃やしたために逃げ惑う動物たちの中に、コアラがいたけど、コアラ…古代インドにいたのか…(画面映えで入れられたんだろうなあ…w)。
2024.7.24.
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