インド映画夜話

シャンカラーバラナム 不滅のメロディ (Sankarabharanam) 1980年(1979年とも) 143分
主演 J・V・ソーマラージュル & マンジュ・バールガヴィ他
監督/脚本/原案 K・ヴィシュワナート
"音楽は恩恵であり、神から与えられたもうた力"


タミル語吹替版予告編


 我らが先祖曰く、音楽は子供も動物も蛇さえも甘美な楽しみに満たされるものである。古典音楽はまさに流れ行く甘露のひと雫。その調べで、芸術に親しむ皆様にお喜びいただけますよう…。

 その日、トゥルシは幼い息子と共に久しぶりに故郷へと帰ってきた。
 船内にて、ありあわせの道具で音楽に興じる息子たちを寂しげに見ていたトゥルシは、船を降りたその岸で、懐かしい男性の姿を遠くに見る…

**************
 若き日のトゥルシは、古典舞踊や音楽を習得する中で、同じ町に住む古典音楽家シャンカラ・シャーストリ(その得意とする旋律法から通称"シャンカラーバラナム")の熱狂的なファンになって、その歌を聞くために彼のステージに通い詰めていた。ある朝、川で娘に歌を教えるシャンカラを見つけたトゥルシは、その歌に身を任せて踊り出し、その見事な舞踊を見たシャンカラから無言のうちにその実力を認められるように。
 しかし、彼女のシャンカラへの傾倒は、高級娼婦の母親から疎まれさっさと家の仕事に参加するよう命じられるものの、それを嫌って一度はシャンカラの元へ逃げて彼の保護下に入ることを許された彼女だったが、居場所を突き止めた母親に無理矢理家に戻されて地主の相手をさせられる事となってしまい…!!


挿入歌 Broche Varevaru Ra (貴方の他に、どなたが私を守るというのですか [ラーマよ])

*この曲は、マイソール藩王国時代の有名な音楽家マイソール・ヴァスデーヴァチャールによって完成された、人気の高いテルグ語古典歌謡とのこと。


 タイトルは、テルグ語(*1)で「シャンカラの宝石」の意で、南インドの古典音楽で使用されるラーガ(旋律法)の名前でもある。「シャンカラ」とは、シヴァ神の別名。
 劇中では、その旋律法を習得したシャンカラ・シャーストリの別名として、またはそのシャンカラを崇拝する前半の主人公トゥルシの事として、また、古典音楽に取り憑かれた2人への恩寵そのものの意味としても登場する。
 2015年の同名テルグ語映画とは別物、のはず。

 インド古典音楽を極めんとする、求道者的な音楽家の生き様を描く芸能もの映画の傑作。
 当初は単館公開から始まるも記録的大ヒットを飛ばし、バンガロール(*2)では吹替なしのまま公開された上で大ヒット。後にタミル語(*3)吹替版、マラヤーラム語(*4)吹替版も公開。
 日本では、1985年に英語字幕版で上映され、2003年に国際交流基金インド映画祭で「シャンカラーバラナム~魅惑のメロディ~」の邦題で上映。福岡総合図書館フィルムアーカイブ収蔵作品となっている。2012年の国立民族学博物館での「みんぱく映画会 日印国交樹立60周年記念インド・クラシック映画特集」でも「シャンカラバラナム」の邦題で上映。2022年のIMW(インディアンムービーウィーク) パート1では、デジタルリマスター・タミル語吹替版が「シャンカラーバラナム 不滅のメロディ」の邦題で上映。同年には、新潟県の高田世界館で1日限定上映。23年、24年のIMWでも上映されている。

 経済誌フォーブス・インディアの"インド映画における偉大なる演技25選"の1本に、IBN-Live(*5)では"インド映画オールタイムベスト100"の1本にそれぞれ選定されている。

 古典音楽の大家シャンカラ・シャーストリの生き様を中心に、映画前半はそのシャンカラを人生の師と仰ぐ娼婦の娘トゥルシの悲哀、音楽に取り憑かれた彼女の音楽・舞踏への抑えきれない愛着と世間との壁を回想シーンとして描き、後半はそんなトゥルシの意思を継いだ彼女の息子がシャンカラ邸に修行に出向き、仮の家族として受け入れられる中で起こるシャンカラと娘による世間との対峙具合・人生の悲喜交々を描いていく。
 富裕層的な生活をして芸術に耽溺できる前半の主人公トゥルシではあるものの、世間が崇める音楽家に弟子入りしても公衆の面前で同じ舞台に上がることすら許されない自身の出生の惨めさが、彼女の持つ音楽への傾倒をより強化しつつも、同時にどうしようもない悲哀をも高めていく諦観がなんとも。
 トゥルシの憧れる音楽のみを追求する求道者シャンカラはシャンカラで、娘1人との同居で近所の人々から生活費を捻出してもらってるとは言え、古典音楽に取り憑かれた自分と世間との音楽に対する愛着の差に苦しめられているし、そうであってなお、家族や弟子たちに自身と同じ音楽への執心を求めずにはいられない、芸術家として・求道者としてのアンビバレンツが露わになっていく姿も物悲しく、であればあるこそに孤高の美しさを発揮する。その音楽への執心が、映画最後の舞台で披露される歌で最大限発揮されるストイックさは、理想的すぎるきらいはあるけれど、芸術の孤高性・孤独性をこれでもかと表現し、それであればあるほどにその孤独の中においてこそ美しさが発揮される何重もの感情の揺さぶり具合が圧巻。

 本作を監督したのは、1930年英領インドのマドラス管区ペッダプリヴァッル生まれ(*6)のK(カシナドゥンニ)・ヴィシュワナート(*7)。
 理学士を取得後、父の元同僚が働くマドラス(現タミル・ナードゥ州都チェンナイ)の映画スタジオ"ヴァウヒニ・スタジオ"で録音技師兼助監督として働き出して映画界入り。当時のスタジオ音響チーフ A・クリシュナンを師事して親交を深めて、両者で映画のアイディアを出し合っていたとか。
 仕事仲間の映画監督アドゥルティ・スッバ・ラーオ監督による63年の「Chaduvukunna Ammayilu(高学歴の少女たち)」で脚本に初参加。65年の「Aatma Gowravam(自尊)」で監督デビューを果たし、ナンディ・アワード作品銅賞を獲得。以降、テルグ語映画界で女性映画を中心に監督して人気を博し、数々の映画賞を受賞する。本作の1年以上ものロングランヒットによって、カルナータカ音楽の復活に大きく貢献したと評され国内外で名声を獲得。社会的メッセージやインド文化の再発見を盛り込んだ娯楽映画を多数発表していく。
 79年には、自身の監督作「Siri Siri Muvva」のヒンディー語(*8)リメイク作「Sargam」を監督してヒンディー語映画デビュー。91年のテルグ語映画「Edurinti Mogudu Pakkinti Pellam」で役者デビューもしていて、以降映画監督兼脚本家兼男優として活躍。92年のパドマ・シュリー(*9)授与を始め、世界各地から功労賞も贈られている。

 前半の主人公トゥルシを演じたのは、女優兼ダンサーのマンジュ・バールガヴィ(別名マンジュ・バルハウィ。生誕名マンジュバールッガヴィー)。
 古典舞踊を修得してダンスショーに参加する中で、映画界から声をかけられ73年のテルグ語映画「Devi Lalithamba」からダンサー出演し映画デビュー。その後も大ヒット作にダンサー出演し続けて知名度を上げ、本作と同年公開の「Nayakudu Vinayakudu」で悪役出演。本作で主演デビューを果たす。
 74年の「Devi Kanyakumari」でマラヤーラム語映画に、78年には「Tripura Sundari」でタミル語映画に、09年には「Hatrick Hodi Maga」でカンナダ語映画(*10)にそれぞれデビュー。南インド映画界全般で活躍するも、高身長さが災いしてか女優業は長続きせず、結婚とともにカルナータカ州バンガロール(*2)に移住して、ダンススクールを開講してダンサー活動に集中するようになる。
 現在、ダンサー活動の合間に、TVドラマ出演を中心に細々とではあるも映画出演も続けているよう。

 主人公シャンカラを演じたのは、1928年(または1920年)英領インドのマドラス管区シュリーカークラム県ルカラム・アグラハラム(*11)に生まれたJ・V・ソーマラージュル(本名ジョンナラガッダ・ヴェンカタ・ソーマラージュル)。父親は物品税検査官で、弟に男優ラーマナ・ムルティ・J.V.がいる。
 幼少期をヴィジャヤナガラムで過ごし舞台演劇に参加してたそうで、学校卒業後にマハブーブ・ナーガル地区の代議士、文化局職員を経て俳優として舞台・TV・映画で活躍する。兄弟で舞台演劇「Kanyasulkam」を500回以上も公演し、その劇中キャラクター"ラーマッパントゥル"の演技は伝説級として語り継がれているそう。また、ハイデラバードとシカンダラーバードにて、テルグ劇場ラサランジャニを仲間たちと設立させてもいる。
 76年の「Jyoti」で映画デビューしたのち、80年に本作含め「Vamsa Vruksham(家系樹)」「Saptapadi(7つの段階)」で主演デビューして、本作でフィルムフェアのテルグ語映画主演男優賞を獲得。テルグ語映画界で活躍する中、85年の「Yaar?(誰?)」でタミル語映画に、86年の「Pyaar Ka Sindoor」でヒンディー語映画に、88年の「Sri Venkateshwara Mahime」でカンナダ語映画に、93年には「Sopanam」でマラヤーラム語映画にもデビューしている。
 2004年、ハイデラバードにて心臓発作で物故される。享年76歳。

 正直、音楽のついての詳しい知識がない身では、インド古典音楽について描く本作の魅力を理解したとはとても言えないんだけども、挿入歌「Raagam Taanam Pallavi (旋律、打拍、その速度が)」で描かれる、トゥルシ役のマンジュ・バールガヴィの古典舞踊が音楽・背景となるヒンドゥー寺院や田園風景の中でその魅力を十二分に発揮して、その刹那の美しさを画面全体で表現させていくパワフルな映像はため息もの。舞踏が作り出す絵面の要素としての音楽の魅力は分かるんだけども、音楽単体としてその背景にある音楽理論の知識がない身では「このシーンの魅力はですね〜」とかしたり顔で語る自信が全く出てこないですよ。
 そうは言っても、劇映画である本作はちゃんと「娯楽映画」としてのサービス精神は盛り込みまくっていて、コメディシーンも配置してあれば、若者のぎこちない恋愛シーンもしっかり物語の中に落とし込まれているので、そこまで肩肘張らずに楽しんでしまえる映画になっている。「音楽こそは、神が与えてくれた恩恵」と断言する音楽家が、どんな苦難をも越えて「音楽を奏でること」「歌を歌うこと」その技術を高めることで得られる幸福を追求せざるを得ない熱情。音楽人とでも言うべき人々の熱狂から見る人生の幸不幸のあり方が、麗しくもあり物悲しくもあり。その芸術に身を任せて孤高の存在となっていく様は、70年代的熱狂の延長にある語り口なのかなあ…とかとか、自分の卑小さを感じながらも思うところではありますことよ。

挿入歌 Raagam Taanam Pallavi (旋律、打拍、その速度が [我が心に現れ救いを与えてくれる])


受賞歴
1980 National Film Awards 驚異的人気娯楽作品賞・音楽監督賞(K・V・マハデーヴァン)・男性プレイバックシンガー賞(S・P・バラスブラーマンヤム)・女性プレイバックシンガー賞(ヴァーニー・ジャヤラーム)
1980 Nandi Awards 作品金賞・男性プレイバックシンガー賞(S・P・バラスブラーマンヤム)・作詞賞(ヴェトゥリ・スンダララマ・ムルティ / Sankara Naada Sareerapara)・テルグ語映画主演男優賞(J・V・ソマヤジュル)
1980 Filmfare Awards 主演男優賞(J・V・ソーマヤージュル)
1981 仏 Besancon Film Festival 作品賞
露 Moscow Intgernational Film Festival 功労賞


「シャンカラーバラナム」を一言で斬る!
・シャンカラの近所でギター片手に騒ぐ若者たちが『これからはポップスだ!』と歌う音楽、なんかルパン三世1期に出てきそうなリズムだわあ。

2022.10.22.
2023.6.17.追記
2024.6.2.追記

戻る

*1 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*2 現カルナータカ州都ベンガルール。
*3 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。
*4 南インド ケーララ州の公用語。
*5 CNN傘下のインドTV局。
*6 現アーンドラ・プラデーシュ州グントゥール県ペッダプリヴァッル。
 またはレーパレ生まれとも。
*7 カシナドゥンニが名字で、ヴィシュワナートが名前。
*8 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*9 インドが一般国民に与える第4等国家栄典。
*10 南インド カルナータカ州の公用語。
*11 現アーンドラ・プラデーシュ州シュリーカークラム県内。