Shamitabh 2015年 135分 その日、新作映画「ライフボゥイ」プレス会見にて、皆が注目する主演男優にして次世代のビッグスター、一切のコネもなくその地位に登りつめた大型新人シャミターブのお披露目が行われた。皆が、突如現れた彼の来歴について注目する中、シャミターブは巧みなスピーチを始める…。 1986年、マハラーシュトラ州ナーシク県イガトプリに産まれたダニシュは、生まれつき声が出ないながら、映画スターを夢見て映画館に通い詰める芝居狂。思いあまって映画の都ムンバイ行きのバスに飛び乗っては、母親に叱られる子供時代を過ごしていたものの、露店軽食屋の母親が病死すると、その悲しみも晴れぬうちからムンバイヘと出発し映画界の重鎮たちに売り込みを開始する。 声を発する事が出来ない彼は映画人から相手にもされなかったが、その騒ぎを聞きつけた助監督のアクシャーラー・パーンデーイは、彼の憑かれたような演技力の高さに驚き、医者の父の助けでフィンランドで開発された声帯転送技術(Live Voice Transfer Technology)を彼に施し、声の代役を立てれば彼の活躍場所は見つかるだろうと協力を申し出る…!! 挿入歌 Sha Sha Sha Mi Mi Mi (シャシャシャ・ミミミ [素晴らしきスターよ、さあ、どこへでもどうぞ。貴方の真価が発揮される所へ]) タイトルは、主演を張るダヌシュ(Dhanush)とアミターブ(Amitabh)の名前の合成。当然ながら、劇中での彼らの役名の合成語(Daanish+Amitabh)でもある(*1)。 2007年に「Cheeni Kum」で監督デビューした、R・バルキーの3本目となる監督作にして、ヒロインを務めたアクシャーラー・ハーサンの映画&主演デビュー作となる一作。ボリウッド初のフィンランドロケ映画ともなったそうな。 生まれつきしゃべれない役者バカと、落ちぶれてなお演技者としての気概を捨てられない役者バカの2人が、協力して唯一無二のスーパースターを創り上げると言う「映画の作られ方」「映画俳優の作られ方」「スーパースターの作られ方」を逆手に取って描くメタフィクショナルな舞台裏もの。いわば、一回ひねった逆「雨に唄えば」でしょか。 映画なるものが、全て作り物であると言う前提でその作り物を如何に作るか・作っているかを茶化しながら、スーパースターを「顔」「声」「演技」「運」「性格」「スキャンダル」と言った要素に分解し、それぞれを別々に作り上げ統合させている作業それ自体が、映画を作り上げる作業そのものである事も匂わせて行く、「映画」の中で「映画ってなんなの?」を考えて行くひねくれた映画愛映画でもあるような? メタフィクション要素は配役の時点から意識されており、70〜80年代のキング・オブ・ボリウッドのアミターブ・バッチャン、ラジニカーント(*2)の娘婿でありタミル語映画界のスターであるダヌシュと言う南北インド映画界のスターを共演させ、ヒロイン演じるアクシャーラー共々ファーストネームを(ほぼ)そのまま役名に使い、数々の本人役のゲスト出演を織り交ぜ、ボリウッドネタも多数披露、主演2人の関連ネタも盛り込みながら、そのコラボ具合が不思議なユーモアを産み出して行く。 タイトルが、ダヌシュ(役名ダニシュ)の最後「Sh」のみとアミターブの全部「Amitabh」と言うバランス感覚でありつつ、映画内でいいとこもって行くのはほぼダニシュ側である事、2人の声帯転送の送受信器の装着位置が、右耳/左耳と対称関係にある事、主にアミターブの台詞などで次々出てくるダジャレに近い掛詞が未来への暗示となって、それぞれの登場人物たちに与える伏線になっていること、演出面や脚本上でのさまざまなメタフィクショナル構成は映画的な見せ方として「ウマい!」の一言。 お店で「これは是非見た方がいい!」「なんで見てないんだ」と言われたのも納得な、作り物の映画としてとてもよく出来た、美しく詩的な、現実の映し鏡のような映画でありました。 監督を務めたR・バルキー(=R・バラクリシュナン)は、カルナータカ州ベンガルール生まれの監督兼脚本家兼広告会社"Lowe Lintas"社長兼制作部チーフ。 もともと映画界を志望するも叶わず、大学でコンピューター・アプリケーションを専攻。クリケットと映画に熱中しすぎて単位を満たせずに退学した後、広告会社に就職して仕事をこなすうちに、映画監督ラメーシュ・シッピーに憧れてその映画関係の仕事に近づきながら脚本を執筆。それを元に07年のヒンディー語映画「Cheeni Kum」で監督&脚本デビューを飾る。ここから、主演アミターブ・バッチャン、音楽イライヤラージャのトリオで09年の「Paa(父さん)」、15年の本作までを作り上げ(*3)、本作公開の翌16年には、初めてアミターブを主役から外した(*4)「キ&カ(Ki & Ka)」を監督し、全作好評を博している人物。 ヒロイン アクシャーラー・パーンデーイを務めたアクシャーラー・ハーサンは、1991年タミル・ナードゥ州チェンナイ生まれの助監督兼ダンサー。タミルのトップスター カマル・ハーサンと女優サリカ・タークルの間に産まれ、姉に歌手兼女優のシュルティ・ハーサンがいる。 インターナショナルスクール卒業後に、母サリカのいるムンバイに移住して助監督として働きはじめ、当初は様々な映画での女優オファーを蹴っていたと言うけれども、76人もの女優候補から監督に選ばれて本作で女優デビューとなる。 実際に"Live Voice Transfer Technology"みたいなものがあるのかどうかは知らないけど、受信側がある程度送信される声を選別できるってことは、送信側と受信側にタイムラグがあるってことなのかどうなのか。その辺気にし始めると、映画に入って行けなくなりそうになるんだけど、一言も声を発さないダニシュ役のダヌシュ(*5)の全身を使った感情表現、手話ではない身振りによる会話、言葉にならないからこそ増幅される気持ちの揺れ動きが、まさに百面相的な演技パワーを産み出していてとにかくスゴい。これだけでも一見の価値あり。 それを受けて立つ大先輩アミターブの、一癖も二癖もある人物像や声の演技、自身で実際に歌を担当した「Piddly Si Baatein」(*6)の歌唱力から役者としてのプライド等、やさぐれた中に潜む人間としての底の見えなさ具合が、ダヌシュと共鳴していくオーラもまた、トンデモね。 この2人の掛け合いによる、スター俳優の栄枯盛衰が描かれて行くってだけで「え? 大丈夫なの?」って心配になる部分と「なにそれ、見てみたい!」ってヤジウマ感覚が刺激されるってもんでね! 挿入歌 Stereophonic Sannata (ステレオ放送の沈黙) *歌うは、本作ヒロインを演じるアクシャーラー・ハーサンの実の姉、歌手兼モデル兼映画女優のシュルティ・ハーサン!
「Shamitabh」を一言で斬る! ・もし、あんな形の声帯転送器が一般化したら…新技術大好きインド映画は、本当にあらぬ使い方を模索しそうだよなあ…(機械まかせじゃなくて、あくまで人のパフォーマンス補助的な位置で、って感じな気もするけど)
2017.1.7. |
*1 劇中では、より詳しい解釈を説明するシーンもあるけども。 *2 本編のダニシュと同じく、バスの運転手から役者に転身してスーパースターにまで成り上がった叩き上げ俳優! *3 途中の12年に、妻ガウリ・シンデーの監督デビュー作「マダム・イン・ニューヨーク(English Vinglish)」のプロデューサーも務めている。 *4 ゲスト出演としては出てくる。 *5 ああ、ややこし! *6 劇中で「こんな愚にもつかない歌!」と言われるような、しょーもない歌詞にもかかわらず。 |