スルターン (Sulthan) 2021年 155分
主演 カールティ & ラシミカー・マンダンナ
監督/脚本 バーキヤラージ・カンナン
"我らは、貴方が交わした約束を守るためには、その命を投げ出すことも厭わない"
1986年の、タミル・ナードゥ州セーラム南部の村。
この村は、周辺との派閥争いのために殺し合いの毎日が続いていた。村の指導者セートゥパティに息子ヴィクラム(通称スルタン)が生まれた日も、突然の襲撃により多数の死者が出て、殺し合いう惨状を嘆いていたヴィクラムの母アンナラクシュミーは同時に産気づいてしまい、出産で命を落とす事に…産婆は語る…「母親は救えなかったけど、この子は貴方達で育ててあげて…この子は、いずれ貴方達を育て上げる人物になるだろうから…」
それから時は過ぎ…2021年。
ロボット工学を学ぶヴィクラムが久しぶりにムンバイから帰って来たその日にも、セートゥパティは殺しの依頼を受けていた。「4年前に我々の村を買収しようとして追い返されたジェヤセーランの奴が、村と家畜を焼き、村人を惨殺し、農地を立ち入り禁止にしました。役人も警察も見て見ぬ振りをします。…どうか、我々のためにあいつを殺して頂きたい…」「よろしい。引き受けましょう…これは私と貴方との約束です!」
その夜、突然セートゥパティ邸は襲撃され、セートゥパティを含むその部下多数が負傷させられる。病院でその惨状を見たヴィクラムは、殺し合いの悲しみから抜け出せない村の現状に怒り、さっさと家を出ていくと父親に宣言してしまう。
しかしその翌朝、彼が目覚めてみると父親は寝室で息を引き取っていて、村中が悲しみにくれていた。母から受け継いだ平和主義の元、父の部下である暴力団をまとめる役を引き受けざるを得なくなったヴィクラムは彼らに「暴力を振るうな」と厳命するものの、昨夜の襲撃犯である警察官たちが父の片腕達の命を狙って動き出しているとの情報が入る…!!
挿入歌 Jai Sulthan (スルタン万歳!)
タイトルは、劇中での主人公の出生地の村での尊称であり、アラビア語由来の単語で「帝王」とか「皇帝」の意。
大ヒット・タミル語(*1)映画「レモ(Remo)」で監督デビューした、バーキヤラージ・カンナンの2本目の監督作。
テルグ語(*2)版も同時製作&公開。マラヤーラム語(*3)吹替版「Jai Sulthan」や、カンナダ語(*4)吹替版「Jai Sulthan」も公開。インドの他、シンガポールでも同日公開されているよう。
日本では、2021年と2023年のIDE(インド大映画祭)にて上映。
似た名前の、99年公開のテルグ語映画「Sultan」、08年のマラヤーラム語映画「Sultan」、16年公開のヒンディー語(*5)映画「スルターン(Sultan)」は、全部別物。
100人(以上?)もの殺し屋を父親から継承することになる主人公が、人殺ししか知らない男たちになんとか真っ当な知識と仕事を与えて更生させようと奔走しながら、彼らを亡き者にせんとする他所者との戦いに巻き込まれていくマサーラーアクションコメディな1本。
相変わらず、公権力が一切機能せず信用もできない暴力吹き荒れる弱肉強食なインドの農村地域を舞台に、むさ苦しい殺し屋たちを父として・兄として育った主人公の、家族同然の殺し屋たちへ向ける愛情、暴力や貧困の連鎖への悲哀、人殺しの続く農村部への諦観とそれに反してヒロインのルクを介して育まれる愛郷心の高まり。まー…いろんな感情のうねりがひとまとめに見てるこちら側に襲ってくる力強い映画ですことよ。
映画前半で主人公に対しての喜びの表現で、100人の男たちがカッコつけたポーズを繰り返すシーンが笑えるコメディにしか見えないのに、ラストバトルに颯爽と登場する彼らの整然とした戦闘ポーズの数々の格好良さよ! 最後のシーンから逆算された、人殺しでしか生きるすべを知らない男たちの覚悟と頼もしさと、語られることのない悲哀が美しいヤクザ映画構造って感じ。
その登場人物配置は、明らかに叙事詩「マハーバーラタ」における悪役 盲目のドリタラーシュトラとその百王子を、叙事詩「ラーマーヤナ」における悪役 羅刹王ラーヴァナと彼に率いられた羅刹軍を反映させたものであり、主人公たちと敵対する他所から来た実業家や警官は、叙事詩における善側登場人物が仮託されている構造(*6)。
特に南インドでは叙事詩の悪役側も崇拝対象として儀礼を捧げる地域も多いし、神話物語上に見えるアーリア人至上主義に反発する滅ぼされた側への同情とアーリア文化に先立つインド独自文化の再評価というものが渦巻く現代インドにおいて、この種のエンタメ映画が出てくること自体、インドが抱える文化・善悪の判断基準・物語論・独自のポリコレ意識などなどの混沌とした多重性を見せつけられるよう。
殺し合いの連鎖を否定するインテリ主人公(*7)が、それでも殺し屋たちを家族として受け入れ、かつ人殺しの不幸から足を洗うように働きかける映画前半の姿も麗しく微笑ましい。そんな主人公は、派閥争いを乗り越えられないインドの現実を唾棄し否定しながらも、家族である殺し屋たちの人生を否定するには彼らを家族として受け入れすぎ・愛しすぎていたし、殺し屋たちも主人公の姿勢を認め変わろうと努力しながらも、最終的な所では殺し屋として生きて来た自分自身を捨てきれない。修羅の世界で生まれ育った彼らが生きられる場所は、やはり修羅の世界でしかない悲しさ。家族を生かす道を作れなければ、結局主人公も殺し屋たちも自分の生きるべき道をも見失うという虚しさが、両者ともに抱える悲哀として映画後半に効果を発揮し始め、ラストの大激突の様に見るカタルシスへと導いてくれる(*8)。
この暴力世界への愛憎渦巻く姿勢の主人公ヴィクラムを演じきったのは、1977年タミル・ナードゥ州マドラス(現チェンナイ)生まれのカールティ(生誕名カールティク・シヴァクマール)。
父親は有名な男優シヴァクマール(生誕名パラニスワミィ)。兄にやはり映画男優として活躍中のスーリヤ(生誕名サラヴァナン・シヴァクマール)、妹に歌手のブリンダ・シヴァクマールがいる。
機械工学位を取得して工学系コンサルタントとして働き出すも、単調な仕事を嫌い米国留学。理学修士号を取得してグラフィックデザイナーのアルバイトをしつつ、ニューヨーク州立大学の映画基礎コースを受講し映画監督を志す。が、父の助言に従い一旦学業を修めてインド帰国。「年をとってからも監督はできるが俳優はできない」と説得されてまず演技を特訓し、04年公開のマニ・ラトナム監督&兄スーリヤ主演作「Aayutha Ezhuthu(鋼の手紙)」にて助監督&端役出演して映画デビュー。続く主演デビュー作「Paruthiveeran(パルティユルの英雄)」で様々な困難を経験しながら、見事フィルムフェア・サウスのタミル語映画主演男優賞他数々の映画賞を獲得する。以降もタミル語映画界で活躍し続け、12年の主演作「Saguni」では歌手デビュー。16年の「Oopiri(息 / 同時製作タミル語版タイトル「Thozha(相棒)」)」でテルグ語映画デビューしている。
先進国に憧れるヴィクラムに、故郷の豊かさ・ありがたさを諭すヒロイン ルクを演じたのは、1996年カルナータカ州コダグ県ビラージペットのコダバ語(*9)家庭に生まれたラシミカー・マンダンナ。
バンガロール(現ベンガルール)の大学で心理学、報道、英文学の学士号を取得しつつモデル業を開始。2014年に、スキンケア大手クリーン&クリア主催のタイム・フレッシュ・フェイス・オブ・インディアで優勝してからスーパーモデルとして活躍。その評判から国内いたる所にファンベースを築き"ナショナル・クラッシュ・オブ・インディア"という称号で呼ばれることもあるとか。
その活躍から映画界からもオファーをもらい、若干19才で16年公開のカンナダ語映画「Kirik Party」に主役級デビューしてその年最大ヒットを飛ばし、SIIMA(国際南インド映画賞)のカンナダ語映画新人女優賞を獲得。翌17年には雑誌バンガロールタイムズの"魅力的な女性30"の最上位に選ばれている。以降も数々の映画賞を獲得しつつ、18年の「Chalo(さあ、行こう)」でテルグ語映画デビュー、本作でタミル語映画デビューして、ヒンディー語映画デビューも予定されているとか。
本作監督を務めるのは、1987年タミル・ナードゥ州ヴェールール県ヴェールール生まれのバーキヤラージ・カンナン。
映画学校卒業後、13年のアトリ監督作「ジョンとレジナの物語(Raja Rani)」の助監督を務めて映画界入り。16年の「レモ」で監督デビュー&端役出演を果たし、エディソン・アワードの新人監督賞を獲得。本作が2本目の監督作となる。
監督の前作「レモ」と同じくストーキング・ラブで進行するラブコメ要素、暴力否定なわりには棒状の武器(ムチも含む)を持つと途端に無双し始める主人公の喧嘩っ早さに特に説明がないことなどなどは、売れ線マサーラースタイルってことにしておくべきか。都会志向の主人公が周りの人間の影響で郷土愛に目覚め、並行して家族間抗争などの問題にも本気でぶつかって行くっていう物語進行もよく見るっちゃ見る内容。その辺の、中盤の展開は既視感が優ってダレる感じもしなくもないけど、実際のタミル(またはテルグ圏)の農村部の人が見れば、そここそ琴線に触れる重要要素ってことになってたりするんだろうなあ…とは思える映像密度。
だからこそ、主人公が常に村の指導者として振る舞わねばならなくなるのも、殺し屋たちが殺し屋という生業を否定せずにそのままで居続けようとすることも、カリカチュア的でありながらインド農村部の生活臭の中で育まれた神話伝説始め民話・民芸の力がここまで力強く人々の中に浸透しているんですよ、って姿を見せつけられるよう。最後の最後に集団で踊るように自らの指導者を礼拝する、殺し屋たちの矜持の姿の凄まじさ、これは映画史的事件ですよ…!!!
挿入歌 Eppadi Iruntha Naanga
「スルターン」を一言で斬る!
・ロボット工学を学ぶヴィクラムに、暴力吹き荒れる村を捨てて縁を切ろうと言う友人が『さっさと日本に行こうよ』と言うのは、やっぱロボット=日本ってイメージから? (しかし、人型ロボット形のプロジェクタなんて日本にあるかな…? 劇中のインドの方が進んでない?)
2022.1.9.
2023.4.29.追記
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*1 南インド タミル・ナードゥ州の公用語。
*2 南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語。
*3 南インド ケーララ州の公用語。
*4 南インド カルナータカ州の公用語。
*5 インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。
*6 物語的な共通項は薄いけど。
*7 でも怒ると、メチャクチャ喧嘩が強い!
*8 しかも、このカタルシスは主人公側の一致団結を持って映画の終劇とし、戦いそのものはほぼ描かれないで終わる! にも関わらず、なんという爽快感が伝わってくる画面でしょう!!
*9 南部ドラヴィダ語派に属する、カルナータカ州南部コダグ県固有の言語。
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