Taal 1999年 181分 ヒマーチャル・プラデーシュ州の山岳部チャンバに避暑に行った実業家の父ジャグモーハンを追って、ロンドンから帰って来たマーナヴ・クーナヴ・メフター(通称 マヌー)は、風光明媚な景色をデジカメに収める中で、その風景に写り込んだ美しい少女に一目惚れする。 彼女の名はマンシー・シャンカル。地元に住む高名な古典音楽家ターラチャンド(通称 タラバブー)の娘で、自宅でヨガ教室を開催している女性。 父が自宅のパーティーに余興としてタラバブーを呼んで懇意になる一方、マヌーも強引にマンシーとの仲を縮めていき、メフター家が帰る日に2人でプレゼントを送りあい、いつか一緒になると約束して別れて行く…。 しかし2人の関係を知ったタラバブーは激怒し、この件をメフター家と相談するためにマンシーを連れてボンベイ(=ムンバイ)のメフター邸を訪れる。だが、メフター家は田舎者の貧乏音楽家なぞ相手にはせず罵声を浴びせ、怒ったタラバブーがジャグモーハンに殴り掛かると、かばいに出たマヌーもタラバブーを激しく叱責して追い返すのだった! 侮辱された絶望感に打ちひしがれるマンシーたちは、偶然街中で自分たちが作った民謡を使ったPV撮影を発見。それは、新進気鋭の音楽プロデューサー ヴィクラーント・カプールの新企画撮影現場だった…。 事情を説明するヴィクラーントは、タラバブーが広める民謡の素晴らしさを褒め讃え、その元で育ったマンシーの美貌と歌唱力を是非芸能界で活用すべきと提案する。 考え抜いた末、マンシーはヴィクラーントの申し出を受けて歌手デビューし、すぐにトップスターの地位に上り詰める。マンシーをプロデュースするヴィクラーントとの間にいつしか恋が芽生え始める頃、その撮影現場にマヌーがやって来る…。 挿入歌 Taal Se Taal (音楽を奏でよう) タイトルは、インド音楽用語の「リズム」とか、それを含む音楽理論の意味…らしい。ペルシア語由来のタールと言う楽器があるけど、それとは関係ないのかな?(ないらしい) アイシュの代表作となる「ミモラ(Hum Dil De Chuke Sanam)」と同じ年に公開された作品で、こちらもミス・ワールドのアイシュの美貌全開な直球ロマンス映画。 もっとも、「ミモラ」と比べると徹頭徹尾受動的なヒロインなのが本作のヒロイン マンシー。全体的に古典的な少女漫画な展開をしてくれて、色々とインド映画文化のモチーフを使ってはいるものの、マンシーを巡るマヌー(演じるはアクシェイ・カンナ)とヴィクラーント(演じるはアニル・カプール)の三角関係の行き着く先に、いまいち説得力が…。 物語が、イメージの積み重ねでできているんだけど、それぞれのイメージが羅列されているだけなのがわかりにくさにつながるのか…ウーム。 お話は、前半は牧歌的な山間の村を舞台にした直球ロマンス。後半は、街中に舞台を変えてマンシーの「スター誕生」みたいな展開。まぁ、芸能界の舞台裏とか競合ライバルたちとの苦労とかは全然出てこないで、終始マンシーを巡る三角関係を追って行く恋愛映画構成なんだけど。 脚本的にはところどころで「え?」と首を傾げる展開をするものの、音楽・撮影は本当に美しい。特にA・R・ラフマーン作曲の「Taal Se Taal」の旋律は、編曲されて何度も登場するくらいなので、見終わってもしばらくは頭をグルグルするくらいの洗脳率。 赤や白・黒などに統一される画面構成も素晴らしく、ヒマーチャル・プラデーシュの高山風景とともに非常に効果的な絵作りが堪能できる。これだけでも一見の価値あり! 所々で、妙にアーティスティックなミュージカルシーンやその撮影シーンが入ってくるけれども、今見るとその新規性が妙にシュールでね…。面白い効果を出してるとは思うけども、前半の高山の美しい田舎の風景に比べると、ムンバイの都会人の暮らしは、イギリス映画「テス」で出てくる成金に飾られた少女テスを見るような感じ…。そう言う時代なんでしょうけど。 挿入歌 Ishq Bina (愛なしの[死はなんのため。愛なしの人生はなんのため])
受賞歴
2011.12.10. |