Umrao Jaan 2006年 189分 原作は1899年に書かれたウルドゥー文学初の小説で、過去に何度も映画化されている作品…なんだって。 時に19世紀の北インドの古都ラクナウ。 文学者ミルザー・ムハンマド・ハーディー・ルスワー(小説「ウムラーオ・ジャーン」の著者)は、近所からの美しい歌声を聞いていた。 その歌詞と歌声を褒め讃える彼は、歌声の主であるウムラーオ・ジャーンに面会。彼女は彼を歓迎して、乞われるまま自身の生い立ちを語り始める…。 彼女の本当の名はアミーラン。 ファイザーバードの下級官吏の家に生まれて、愛情あふれる家族とともに幸せな子供時代を過ごしていた。しかし、父のライバルであるディラーワル・カーンは、父への腹いせに彼女を誘拐。相棒の勧めでラクノウの大きな娼館に売り渡してしまう。 娼館の女主人カーナム・サーヒブは、アミーランの美しさを褒め讃えて彼女に「ウムラーオ」と言う名前を与える。 カーナムからウムラーオの親代わりを任されたフサイニー夫婦は、実の娘同様に彼女に(芸妓となるための)英才教育を施すのだった。 成長したウムラーオは、カーナムの指名で王侯貴族の集まる宴会で始めて舞を披露。その美しさはたちまちラクノウの人々に知られる所となり、彼女は一躍時の人に。 そのデビュー直前に、ウムラーオの指輪を拾ったナワーブ・スルターンは、すぐに彼女の常連客となって通いつめ、ウムラーオもまた,初めて会った日から彼を思うようになる。 「娼婦が客に恋をするな」と言う周りの声にも関わらず、ウムラーオとナワーブの恋は日増しに激しくなっていく。しかし、娼館通いを良しとしないナワーブの父は彼を勘当。無一文になったナワーブは、友人の家を転々としながら「必ず戻って来る」と言ってラクノウを離れてしまう。 ナワーブを忘れられないウムラーオは悲しみにくれるが、そこに彼女に一目惚れした盗賊のファイズ・アリーが近づいて来る。 あたかも時は、刻一刻とインド大反乱(=セポイの反乱)の起こる1857年へ…。 挿入歌 Pooch Rahe Hain (彼らは尋ねてくる) まさに、アイシュのアイシュによるアイシュのための映画(*1)。 絢爛豪華な近代インドの中で渦巻く悲恋劇…って意味では2001年公開の「Devdas」とよく似ている。どちらも文芸映画だしね。 もっとも「Devdas」は主役3人のボリウッド・スターを等価値に扱ってたのに対し、こちらは完全にアイシュのみにカメラの焦点が合っている。恋のお相手ナワーブ演じるアビシェーク(*2)ですら、添え物扱い。 「Devdas」の舞台は近代のインド東部のベンガル。対してこちらは首都デリーに近い、当時完全にイスラム勢力圏のムガル帝国のお膝元であった古都ラクノウ。 必然的に、美術様式がアラブやペルシャっぽくなり、「Devdas」とはまた違う抑制的な豪華さが画面に彩られて行くようになる。ま、踊子であるアイシュの衣裳はあいかわらずデーハーなんですが(*3)。 言葉も、ウルドゥー語が多用されてるようで「ありがとう」がヒンディー語の「ダンニャワド」ではなくアラビア語由来の「シュークリア」になってるのはわかった(*4)。 時代考証が、どの辺まできっちりこだわって作ってあるのかはわからないけど、現代的美女であるアイシュの巨大碧眼と、イスラーム音楽に乗せて踊る古典的な舞がウツクシ〜。ま、ミュージカルシーンとして見ると、群舞もなく古くさい感が漂うけど、リメイク作でウルドゥー文学の代表作だからしょうがない…か? お話そのものは、ナワーブとの禁断のロマンスに比重を置きすぎて、とっちらかってる感あり。ラスト近くのセポイの反乱に伴う動乱の歴史絵巻と、故郷に戻ってきたウムラーオの悲劇があっさりしすぎてたのが、ねぇ…。台詞に比重を置いた文学的構造がそのままなのは、映画としては「?」となってしまう所だよなぁ…。 その後、2008年に「Jodhaa Akbar」で絶頂期のムガル帝国に嫁いだお姫様を演じるアイシュは、映画女優的にはムガル美女の筆頭ってことでO.K.? 挿入歌 Main Na Mil Sakoon Jo Tumse (もし、貴方に会えなくなったなら)
2010.1.26. |
*1 …もっとも、歴代ウムラーオ映画で一番評価が高いのは、1981年のレーカー主演のヤツだそうだけど。 *2 この頃はアイシュとの結婚直前。婚約中だったそうな。 *3 にしても、イスラムの生活様式って青が多用されるんかね? *4 あと、もう1種類くらい使ってた…ような? |