ファンタジーな地名辞典

ルンビニー園

分類:聖地
交通:可能 現ネパール西部のタライ盆地の一村
 
 漢訳名 藍毘尼。仏陀の生誕地であり、仏陀八大聖地の1つ。1997年に世界遺産に登録されている。
 1895年、ドイツ人考古学者フューラーがここで偶然に一本の石柱を発見した。石柱下部にはブラーフミー文字で「ここでブッダ・シャカムニは生まれたもうた」と記されていた事から、それまで実在が疑われていた仏教の開祖ゴータマ・シッダールダ(1)の、実在とその生誕地は実証されたのである。
 「ラリタ・ヴィスタラ」などの仏典によれば、仏陀はヴァイシャーカ月(2)に6本牙の白象に乗って母胎に入った。仏陀の母に選ばれた王妃マーヤー(3)は、この事を夢によって知り、父に選ばれたカピラヴァストゥ王シュッドーダナ(4)は、マーヤーとバラモンの言および空中に響く神々の声でこの事を告げられたのだった。マーヤーは、仏陀受胎の後に神々に守護され、不思議な治癒力を発揮したと言う。
 マーヤーの出産時期が近づいて来ると、国全体に静けさと安堵が広まり様々な瑞兆が現れる。これによりマーヤーはお産のため故郷に戻りたいと申し出、侍女たちや神々に守られて向かった途中に立ち寄ったのがルンビニー園だった。
 マーヤーが到着したルンビニー園は、花という花が咲きそろい、さらに神々によって天上の花も飾られていた(5)。マーヤーが花園に入ると一本の無花果樹が垂れ下がるので、右腕を上げて枝をつかむと、その瞬間にその右脇から仏陀が生まれいでる。インドラとブラフマンの2神が幼児を抱き上げ、竜王のナンダとウパナンダが冷水とお湯をそそぎ産湯に浸からせ、天人の群が花と雨を降り注がせたと言う。
 生まれたばかりの仏陀が歩き出すと、歩いた所から大地が割れて蓮花が咲きだした。仏陀は7歩歩むと「天上天下唯我独尊(私は第一人者であり、世界の最高者であり、私の最後の誕生である。私は生と老と死と苦を討ち滅ぼそう)」と宣言。すると大地は震え天地の琴が響き、晴天の中で雷鳴が響いて雨が降り注ぐ。白檀の香りの風が吹き、上空から梵音響き、世の全ての人々は喜びにみたされた。時同じく未来の妃(6)・馭者をつとめるチャンダカ・出家の時に乗る馬カンタカも同時に生まれたと言う。
 苦痛なく仏陀を産んだマーヤーは、しかし出産後7日して逝去し天上へ昇ってしまう。仏陀は養母として、マーヤーの妹マハープラジャーパティー=ガウタミー(7)に育てられたと仏典は伝える。
 それから時は過ぎ、仏陀入滅後100年(あるいは200年)のマウリア朝絶頂期のインドに現れたアショーカ王(8)によって、インド中に仏教が広められ、仏陀ゆかりの地に多くの石柱が建てられる。冒頭、ルンビニー園特定の証拠となった石柱もまた、この仏教守護の大王と名高いアショーカ王の造らせた遺跡だった。
 
 もちろん、「ラリタ・ヴィスタラ」の記述は伝説として誇張されたものですが、大まかの物語は実際の出来事の引き写しであろうと言われてます。現在のルンビニー園はアショーカ王の石柱の他、仏陀が産湯に浸かった浴池が復元され、仏陀の母マーヤーの廟があるそうです。
 ただ、アショーカ王の石柱によってその所在がハッキリしたルンビニー園に対し、仏陀が育ったカピラヴァストゥの位置は諸説あり、いまだに判明していません。インド考古学局がインド領内の比定地を発表をした事があり、この事にネパール側が反発、仏陀の一族シャーキャ族(=釈迦族)がインド人だったのかネパール人だったのかをめぐり激しい論争が行われたと言う事です。
 現在、ルンビニー園の周囲を公園として整備する「聖域計画」があり、1978年に日本人建築家丹下健三がプランを作成、それをもとに元国連事務総長のウ・タントの提唱によって周辺の整備が進んでいると言う事です。

 参考までに、ベック著の「仏教」をもとに仏陀伝説年表を作ってみました。

参考
「仏教」
ベック 著 渡辺照宏 訳 岩波文庫
「古代インド」
中村元 訳 講談社学術文庫
2007.12.15.
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(1) 別にガウタマ・シッダールダともゴータマ・シッダッタとも言われる。ゴータマは"最上の牛"、シッダールダは"目的を達した"の意。称号のブッダとは"目覚めた者"、シャカムニは"シャーキャ族の聖者"を意味する。
 仏典では幼名としてサルヴァールタシッダ("自分の念願を全て実現してくれる人")と名づけられたともある。称号として仏陀、世尊、如来、釈迦牟尼など多くの異名を持つ。
 紀元前5世紀頃に生まれ、29歳で出家。35歳で悟りを開き仏教の開祖として活動。正確な生没年は今もって諸説あるが、紀元前486〜383年に80歳で没したとされる。
(2) 4月〜5月。別に「ニダーナ・カター」ではアーシャーダ月つまり6月〜7月とされる。
(3)漢訳名 摩耶夫人。その名前の由来は諸説あり、実在した名かどうかも疑われている。
 シャーキャ族の貴族スプラブッダ(またはアヌシャーキャー)の娘。同じシャーキャ族の王シュッドーダナに嫁ぎ仏陀を生んで、7日後に没したと言う。
 主に安産や子育てなどで信仰を集め、日本では日蓮宗などで尊宗される。
 仏陀を右手脇から産んだと言う伝説は、インド古来の「リグ・ヴェーダ」において原人がクシャトリア(王族)を胸脇から産んだと言う伝説に共通する。
(4) スッドーダナとも。漢訳名 浄飯王。シュッドーダナで「純粋な飯」と解される事から。
 シャーキャ族のカピラ城(カピラヴァストゥ)の城主。大王とされるが、一族の古老たちと相談して重要事を決定していたりと言う記述から、首席・貴族地主だったのではと言う研究もある。
(5) 様々な仏典は、共通してマーヤーの妊娠期間を10ヶ月としてる。「ラリタ・ヴィスタラ」ではその誕生日をパールグナ月(2〜3月)とし、「ニダーナ・カター」ではヴァイシャーカ月(4〜5月。『ラリタ・ヴィスタラ』の受胎の時期に相当する)とする。
(6) 「ラリタ・ヴィスタラ」は仏陀の妃をゴーパーとするが、別にヤショーヴァティーとも。「マハーヴァストゥ」ではヤショーダラー、パーリ聖典ではバッダカッチャーナーともしていて一定しない。
 シャーキャ族の王ダンダパーニーの娘とも、コーリヤ族のアンジャナ王の孫で仏陀の母マーヤーの妹とも言われる。
 仏陀との婚約時に仏陀の威光を恐れず、贈り物に不満の意をハッキリと現し、結婚時には慣例に背いて顔を隠さずに通したと言われる。仏陀の出家前(または出家後)に仏陀との子ラーフラを出産している。
(7) マハープラジャーパティで「大いなる母」の意。漢訳名 摩訶波闍波提。仏陀出家後に最初の比丘尼(女性の尼弟子)となる。
(8) 漢訳名阿育王。B.C.268〜B.C.232頃のマウリア朝第3代の王。インド南端部を除きインド亜大陸を初めて統一した王で「全大地の主」と呼ばれる。
 激戦を極めた対カリンガ国戦争を終えた頃から仏教を熱心に崇拝するようになり、「ダルマ(法)の政治」を実現。インド各地の仏舎利を新築したり数多くの仏塔を建設した。政治的には数々の宗教を対等に扱ったともいわれ、数々の伝説を残す。仏教がスリランカに渡ったのもこの時代で、カンダハルからはギリシャ文で書かれたアショーカ王の詔勅が発見されている。
 その最期は明瞭とせず諸説別れるが、アショーカ王の没後すぐにマウリア朝は分裂したと言う。
 アショーカ王の政治理想は現代のインド共和国の国家運営の指標となっている。