神代神武東征→欠史八代→祟神垂仁景行/成務
 
古事記・日本書紀の欠史八代の段を、趣味的に年表風にまとめてみました。
記紀の相違に注目!
 
欠史八代とは神武に続く2代〜9代天皇の8人の天皇の事です。
次々と勇壮な物語が続いた神武東征に比べ、
長い年月だけがうごく(なんと400年以上!)系図学的意味合いのみに集中している箇所です。
このため、欠史八代は実在しない架空の天皇であるとされています。
神武朝もそうなのですが、年月日や年齢のおおざっぱさがなんとも…。
ここで重要な部分と言えば

・皇族に磯城(奈良県磯城郡)出身者が多い
・奈良時代に権勢を誇る蘇我氏の祖先武内宿禰の系譜
・とにかく生年月日の流れが無茶苦茶

…と言う事くらいでしょうか。
 
ちょっと見にくいですが参考までに。

古事記 日本書紀 ()内は「一に云わく〜」で異伝と伝えられている部分



ヌナカハミミ(綏靖)、葛城の高岡宮(南葛城郡)に坐す

綏靖、師木のカハマタビメと結婚
→シキツヒコタマデミ誕生 


綏靖、45歳で崩御 衝田岡(高市郡)に埋葬
綏靖
元年

2年

4年
25年
33年
(庚辰の年)
1/8 ヌナカハミミ即位、天皇に 葛城の都(高丘宮/御所市森脇)を建設
   イスケヨリヒメ、皇太后に
春1月 伯母イスズヨリヒメ(磯城のカハマタヒメ/春日のイトリヒメ)、皇后に
   →シキツヒコタマデミ誕生
夏4月 カムヤイミミ崩御 畝傍山の北に埋葬
春1/7 タマデミ、21歳で皇太子に
夏5月 綏靖、84歳で崩御(計算上では112歳?)



タマデミ(安寧)、片鹽の浮穴宮(北葛城郡)に坐し皇位を継ぐ



安寧、先代皇后の姪アクトヒメと結婚
→トコネツヒコイロネ/オホヤマトヒコスキトモ/シキツヒコ誕生 
スキトモ、皇位を継ぐ
シキツヒコの子ワチツミ、淡道の御井宮に坐す
ワチツミよりハヘイロネ(別名オホヤマトクニアレヒメ)/ハヘイロド誕生 
安寧、49歳で崩御 畝火山の御陰に埋葬 安寧天皇に
安寧
元年


2年
3年

11年


38年
(綏靖33年/癸丑の年)
7/3 タマデミ即位、天皇に
10/11 綏靖を倭の桃花鳥田丘の上陵(橿原市)に埋葬
    イスズヒメ、皇太后に
 都を片塩に遷都(浮孔宮/大和高田市三倉堂)
春1/5 ヌナソコナカツヒメ(別名ヌナソヒメまたは磯城のカハツヒメ/イトイヒメ)、皇后に
   →オキソミミ(トコツヒコイロネ)/オホヤマトヒコスキトモ(/シキツヒコ)誕生
春1/1 スキトモ、16歳で皇太子に


冬12/6 安寧、57歳で崩御(計算上では69歳)



スキトモ(懿徳)、輕(高市郡)の境岡宮に坐す



懿徳、師木のアトマワカヒメ(別名イヒヒヒメ)と結婚
→ミマツヒコカエシネ/タギシヒコ誕生
ミマツヒコ、皇位を継ぐ
懿徳、45歳で崩御 畝火山の眞名子谷の上に埋葬
懿徳
元年


2年


22年
34年
35年
(辛卯の年)
春2/4 スキトモ、天皇に
秋8/1 タマデミ(安寧)、畝傍山南御陰井上陵(橿原市吉田町)に埋葬
9/? ヌナソコナカツヒメ、皇太后に
春1/5 都を軽の地に遷都(曲峡宮/橿原市大軽町付近)
2/11 懿徳の姪アマトヨツヒメ(磯城のイヅメヒメ/磯城のイヒヒヒメ)、皇后に
   ミマツヒコカエシネ(/タケシヒコアヤシトモゼ)誕生
春2/12 ミマツヒコ、18歳で皇太子に
秋9/8 懿徳崩御
冬10/13 懿徳、畝傍山南繊沙谿上陵に埋葬



ミマツヒコ(孝昭)、葛城の腋上宮(南葛城郡)に坐す


孝昭、尾張のヨソタホビメと結婚
→アメオシタラシヒコ/オホヤマトタラシヒコクニオシビト誕生
オホヤマトタラシヒコ、皇位を継ぐ

孝昭、93歳で崩御 腋上の博多山の上に埋葬
孝昭
元年


29年

68年

83年
(丙寅の年)
春1/9 ミマツヒコ、天皇に
夏4/5 アマトヨツヒメ、皇太后に
秋7月 都を腋上に遷都(池心宮/御所市池之内付近)
春1/3 尾張のヨソタラシヒメ(磯城のヌナキツヒメ/倭のオホイヒメ)、皇后に
   →アメタラシヒコクニオシヒト/ヤマトタラシヒコクニオシヒト誕生
春1/14 ヤマトタラシヒコ、20歳で皇太子に
    アメタラシヒコ、和珥臣の始祖となる
秋8/5 孝昭崩御



オホヤマトタラシヒコ(孝安)、葛城の室の秋津島宮に坐す


孝安、メヒオシカヒメと結婚
→オホキビモロスス/オホヤマトネコヒコフトニ誕生

ヒコフトニ、皇位を継ぐ
孝安、123歳で崩御 玉手の岡の上(南葛城郡)に埋葬
孝安
元年

2年
26年

38年
76年
102年


(己丑の年)
春1/7または27日 ヤマトタラシヒコ、天皇に
秋8/1 ヨソタラシヒメ、皇太后に
冬10月 都を室の地に遷都(秋津嶋宮/御所市室)
春2/14 ミメオシヒメ(磯城のナガヒメ/十市のイサカヒメ)、皇后に
    →オホヤマトネコヒコフトニ誕生
秋8/14 ミマツヒコ(孝昭)、腋上博多山上陵に埋葬
春1/5 ヒコフトニ、26歳で皇太子に
春1/9 孝安崩御
秋9/13 孝安、玉手丘上陵(南葛城郡御所市)に埋葬
冬12/4 ヒコフトニ、都を黒田に遷都(廬戸宮/磯城郡田原本町黒田)



ヒコフトニ(孝霊)、黒田の廬戸宮(磯城郡)に坐す
孝霊、十市のクハシヒメと婚姻
 →オホヤマトネコヒコクニクル誕生
孝霊、春日のチチハヤマワカヒメと結婚→チチハヤヒメ誕生
孝霊、オホヤマトクニアレヒメと結婚
→ヤマトトトモモソビメ/ヒコサシカタワケ
/ヒコイサセリビコ(別名オホキビツヒコ)
/ヤマトトビハヤワカヤヒメ誕生
孝霊、ハヘイロドと結婚
 →ヒコサメマ/ワカヒコタケキビツヒコ誕生
ヒコクニクル、皇位を継ぐ
オホキビツヒコ・ワカタケキビツヒコ、針間(兵庫県)で神事し吉備國を平定
孝霊、106歳で崩御 片岡の馬坂の上(北葛城郡)に埋葬
孝霊
元年
2年








36年

76年
(辛未の年)
春1/12 ヒコフトニ、天皇に オシヒメ、皇太后に
春2/11 ホソヒメ(別名クハシヒメ・春日のチハヤヤマカヒメ・十市のマシタヒメ)、皇后に
     →オホヤマトネコヒコクニクル誕生

    ヤマトクニカヒメ(別名ハヘイロネ)、妃に
     →ヤマトトビモモソヒメ/ヒコイサセリビコ(別名キビツヒコ)
     /ヤマトトトワカヤヒメ誕生

    ハヘイロド、妃に
     →ヒコサシマ/ワカタケヒコ誕生
春1/1 ヒコクニクル、19歳で皇太子に

春2/8 孝霊崩御



ヒコクニクル(孝元)、輕の堺原宮(高市郡)に坐す


孝元、穂積のウツシコメと結婚
→オホビコ/スクナヒコタケルイゴコロ
/ワカヤマトネコヒコオホビビ誕生
孝元、イカガシコメと結婚
→ヒコフツオシノマコト誕生
孝元、河内のハニヤスビメと結婚→タケハニヤスビコ誕生
ヒコオホビビ、皇位を継ぐ
オホビコ、タケヌナカワワケ/ヒコイナコジワケを生む
ヒコフツオシ、葛城のタカチナビメと結婚→ウマシウチノスクネ誕生
ヒコフツオシ、ヤマシタカゲヒメと結婚→タケウチノスクネ誕生
タケウチノスクネの子孫繁栄(→後の蘇我氏)
孝元、57歳で崩御 劒池の中の岡の上(高市郡)に埋葬
孝元
元年
4年
6年
7年





22年




57年

(丁亥の年)
春1/14 ヒコクニクル、天皇に ホソヒメ、皇太后に
春3/11 都を軽の地に遷都(境原宮/橿原市大軽町)
秋9/6 孝霊を片丘馬坂陵(北葛城郡王寺町)に埋葬
春2/2 穂積のウツシコメ、皇后に
    →オホビコ/ワカヤマトネコヒコオホヒヒ
    /ヤマトトトヒメ(/スクナヒコヲココロ)誕生
   物部の遠祖イカガシコメ、妃に
    →ヒコフツオシノマコト(タケシウチ宿禰の祖父)誕生
   河内のハニヤスビメ、次妃に→タケハニヤスビコ誕生
春1/14 ヒコオホヒヒ、16歳で皇太子に




秋9/2 孝元崩御
冬11/12 ヒコオホヒヒ、天皇に




ヒコオホビビ(開化)、春日の伊邪河宮(奈良市)に坐す

開化、旦波のタカノヒメと結婚→ヒコユムスミ誕生
開化、継母イカガシコメと結婚
→ミマキイリヒコイニエ/ミマツヒメ誕生 
開化、丸邇のオケツヒメと結婚→ヒコイマス誕生
開化、葛城のワシヒメと結婚→タケトヨハヅラワケ誕生
ミマキイリヒコ、皇位を継ぐ
ヒコユムスミ、オホツツキタリネ/サヌキタリネ/娘5柱を生む
ヒコイマス、山代のエナツヒメ(別名カリハタトベ)と結婚
→オホマタ/ヲマタ/シブミノスクネ誕生
ヒコイマス、沙本のオホクラミトメと結婚
 →サホビコ/ヲザホ/サホビメ(別名サハヂヒメ)/ムロビコ誕生
ヒコイマス、近つ淡海の神の娘オキナガミヅヨリヒメと結婚
→タニハノヒコタタスミチノウシ/ミヅノホノマウカ
・カムオホネ(別名ヤツリノイリヒコ)/ミヅホノイホヨリヒメ
/ミイツヒメ誕生
ヒコイマス、伯母オケツヒメと結婚
→山代のオホツツキマワカ/ヒコオス/イリネ誕生
オホマタ、アケタツ/ウナカミを生む
ミチノウシ、丹波のマスノイラツメと結婚
→ヒバスヒメ/マトノヒメ/オトヒメ/ミカドワケ誕生
オホツツキの子孫繁栄(3代後に神功皇后が誕生)
開化、63歳で崩御 伊邪河の坂の上(奈良市)に埋葬
開化
元年
5年
6年





28年















60年

(甲申の年)
春1/4 ウツシコメ、皇太后に
冬10/13 都を春日の地に遷都(率川宮/奈良市)
春2/6 ヒコクニクル(孝元)を剣池嶋上陵(橿原市)に埋葬
春1/14 丹波のタカノヒメ、妃に→ヒコユムスミ(別名ヒコモス)誕生
    先代妃イカガシコメ、皇后に
     →ミマキイリビコイニエ誕生
    和珥のハハツヒメ、次妃に→ヒコイマス誕生

春1/5 ミマキイリビコ、19歳で皇太子に















夏4/9 開化(115歳で)崩御(計算上110歳)
冬10/3 開化、春日率川坂本陵(坂上陵/奈良市油阪町)に埋葬
祟神朝へ