古事記・日本書紀の祟神・垂仁の段を、趣味的に年表風にまとめてみました。
記紀の相違に注目!
第11代天皇 垂仁の時代は
おおざっぱに分けると
・渡来人ソナカシチ帰還 新羅と任那の対立
・渡来人アマノヒボコ伝説 但馬の神宝渡来
・悲劇のサホビメ伝説
・クエハヤとノミノスクネ対決
・丹波の五女伝説
・ホムチワケ治療のための白鳥探索
・ヤマトヒメ巡行 伊勢神宮建立
・出雲の祭祀復活
・倭大神の呪い
・殉死廃止 埴輪起源説話
・イニシキの石上神宮建立 武器崇拝の起源
・出石(イズシ)の太刀伝説
・タジマノモリ伝説
となります。
ここに見える渡来人伝説は、古事記では応神期にみえるものです。
ツヌガアラシト・ソナカシチ・アマノヒボコの3伝説は、
まずヒボコ伝説があって、そこから他の2つの伝説が分化されて成立したものと言われています。
風土記ではヒボコの名のみ伝えられています(筑前風土記では高麗国出身とされています)。
また、サホビメの伝説には日向神話の火中出産のモチーフによる穀物神信仰の名残が見えます。
古事記では、劇的文芸加工の色が強いため後世の瀾飾かとも言われています
伊勢神宮の起源については、戦後から様々な研究がなされてきました。
通説としては、初め伊勢の地方神だった神宮が、紀の伝説よりも遥かに新しい時期に皇室神に転化した、とするようです。
このような背景から、アマテラスを太陽神であると共に皇祖神とする観念が生まれたのでしょう。
ちょっと見にくいですが参考までに。
古事記 | 日本書紀 ()内は「一に云わく〜」で異伝と伝えられている部分 | ||
垂 仁 |
イクメイリビコ(=垂仁)、師木(磯城郡)の玉垣宮に坐す 垂仁、サハヂヒメ(別名サホビメ)と結婚 サホビコ、妹サホビメに垂仁(イクメイリビコ)殺害を依頼 サホビメ、膝で眠る垂仁を3度殺そうとするも止まる サホビメの告白 垂仁、夢で事の真相を知る 結婚から3年後 垂仁とサホビコの戦争 サホビメ、身重の身で兄の城へ サホビメの出産 児を天皇に送ろうと垂仁に連絡 垂仁、児と共にヒメを奪回せんとするもヒメの意志により失敗 ヒメのつける玉飾りの責任として垂仁、玉作人の地を奪う →「地得ぬ玉作」の語源 垂仁、児の名を尋ね、火中の城のヒメ、ホムチワケの名を与える 垂仁、児の養育をヒメに誓う 垂仁、サホビコを殺害 サホビメ、兄の後を追う 一度も口を聞かないホムチワケ、鵠(ククヒ=白鳥)を見て口を動かす 山邊のオホタカ、垂仁の命で鵠を追い、木國〜高志國を巡る オホタカ、和那美の水門で鵠を捕獲するもホムチワケ治らず 垂仁の夢に神現れ「我の宮を天皇の宮のごとく造り直せ」と託宣 垂仁、夢を占いホムチワケの失語症は出雲の大神の仕業と知る アケタツ、垂仁の託宣を証明するため誓い→全て神意現出 アケタツ、ヤマトシキトミトヨアサクラアケタツノキミと改名 アケタツ、ウナカミ王の2王と出立 →那良戸(山城越え)・大坂戸(大阪山越え)を避け腋戸を行く アケタツ、出雲で大神祭祀 斐伊川に黒き巣橋・假宮造営 出雲國造の祖キヒサツミ、これを喜び祭祀 ウナカミ、檳榔(アヂマサ)の長穂宮に坐す ウナカミ、ヒトヨヒナガヒメと婚姻→ヒメ、蛇と化す ウナカミ、畏れて逃亡 ヒメ、海原を照らし追う 垂仁、ウナカミの報告を喜びウナカミを出雲に返し神宮を造営 ウナカミ、鳥取部・鳥甘部・品遅部・大湯坐・若湯坐を制定 皇子養育のためヒバスヒメ/オトヒメ/ウタゴリヒメ/マトノヒメ、来る 垂仁、ウタゴリヒメ/マトノヒメを醜いとして(丹波に)返す マトノヒメ、山代山中で自殺未遂→懸木(訛って相楽/京都府相楽郡)の語源 マトノヒメ、淵に身投→墜國(訛って弟國/京都府乙訓郡)の語源 垂仁、(旦波の)ヒバスヒメと結婚 →イニシキノイリヒコ/オホタラシヒコオシロワケ/オホナカツヒコ /ヤマトヒメ/ワカキノイリヒコ誕生 垂仁、沼羽田のイリビメと結婚 →ヌタラシワケ/イガタラシヒコ誕生 垂仁、イリビメの妹阿邪美のイリビメと結婚 →イコバヤワケ/アザミツヒメ誕生 垂仁、カグヤヒメと結婚→ヲザベ誕生 垂仁、山代のカリタトベと結婚 →オチワケ/イタラシヒコ/イトシワケ誕生 垂仁、山代のオトカリタトベと結婚 →イハツクワケ/イハツクビメ(別名フタヂノイリビメ)誕生 オホタラシヒコ、皇位を継ぐ イニシキ、血沼池(大阪府泉南郡)/狭山池/日下の高津池(南河内郡)を造営 イニシキ、鳥取の河上宮(大阪府泉南郡)に坐し横刀千口を石上神宮に奉納 イニシキ、河上部を制定 垂仁、三宅のタヂマノモリに常世の國の非時の香の木の実獲得を命令 垂仁、153歳で崩御 菅原の御立野(生駒郡)に埋葬 タヂマノモリ、木の実8巻8本を持って帰還 4巻4本を大后に送り、残りを垂仁御陵に奉納 タジマノモリ、垂仁御陵で慟哭死 ヒバスヒメ、石祝作・土師部を定める ヒバスヒメ、狭木の寺間(生駒郡)に埋葬 |
元年 2年 3年 4年 5年 7年 15年 23年 25年 26年 27年 28年 30年 32年 34年 35年 37年 39年 87年 88年 90年 99年 |
(太歳壬辰の年) 春1/2 イクメイリビコ、天皇に (ツヌガアラシト、大和に至り垂仁に仕える事を約す) 秋8/11 祟神を山辺道上陵に埋葬(祟神期の記述) 冬10/11 祟神を山辺道上陵に埋葬 11/2 ミマキヒメ、皇太后に 春2/9 サホビメ、皇后に→ホムツワケ誕生 垂仁、ホムツワケを愛むが御子、言葉を話さず 冬10月 都を纏向に遷都(珠城宮/桜井市北部) 任那人ソナカシチ、本国へ帰還 赤絹百巻を送られる 新羅人、ソナカシチを襲撃し荷を奪う→任那と新羅の対立始まる (アラシト本国へ帰還 赤絹を持たせ、国を祟神の名をとり弥摩那[=任那]と名付ける) (新羅、赤絹を狙い任那へ出兵→任那と新羅の対立始まる) 新羅王の子アマノヒボコ来帰 七物の神宝を献上→但馬国の神宝として蔵める (ヒボコ、艇で播磨国に漂着し宍粟邑[兵庫県宍栗郡]に留まる) (渡来人の噂を聞き三輪のオホトモヌシ・ナガヲチを宍粟邑へ派遣) (垂仁、ヒボコに播磨国宍粟邑・淡路島出浅邑を与える) (ヒボコ諸国を巡る 北近江国吾名邑[滋賀県近江町]に住み、後に若狭国を経て西但馬国に移る) (近江国鏡村の谷の陶人、ヒボコに仕える) (ヒボコ、出嶋のフトミミ[またはマヘツミミ]の娘マタヲと婚す→タジマモロスク誕生) (モロスクの3代後にタジマモリ誕生) 秋9/23 サホビコ、謀反を計画→妹サホビメに計画共謀を持ちかけ匕首を与える サホビメ、兄を畏れる 冬10/1 垂仁の来目(高市郡)行幸 高宮に居す 垂仁、ヒメの膝枕の中で夢にサホビコ謀反を知る ヒメの告白 垂仁、ヒメを許し上毛野のヤツナダにサホビコ討伐を命じる ヤツナダ軍とサホビコ軍の戦闘 サホビコ、稲を積み城とする(稲城) サホビメ、子と共に兄を慕い稲城へ ヤツナダ軍、稲城を包囲 再三の降伏勧告をサホビコ無視 ヤツナダ、稲城を放火 サホビメ、皇子を垂仁に託す 「兄の罪を止められず共に死にます。皇子に丹波の五婦人を召して育ててほしい」 稲城倒壊 兄妹死し、敵軍残党逃亡 ヤツナダ、軍功からヤマトヒムカタケヒムカヒコヤツナダと改名 秋7/7 垂仁と側近、当麻邑のクエハヤと出雲勇士ノミノスクネとの対決を所望 ナガヲチ、垂仁の命で出雲に赴きノミノスクネを召還 クエハヤとスクネの相撲→スクネ、クエハヤの脇骨・腰を踏み裂き殺害 垂仁、スクネに当麻を与える スクネ、垂仁に仕える→当麻の腰折田の起源 春2/10 丹波の五女、垂仁に召喚され腋庭に入る 秋8/1 長女ヒバスヒメ、皇后になり妹たち妃となる 末女タカノヒメ、顔醜しとして返され葛野(京都市右京区)で輿から落ち自殺 →墜国(訛って弟国)の語源 皇后ヒバスヒメよりイニシキイリビコ/オホタラシヒコ/オホナカツヒメ ヤマトヒメ/ワカキニイリビコ誕生 妃ヌバタニイリビメよりヌテラシワケ/イカタラシヒメ誕生 妃アザミニイリビメよりイケハヤワケ/ワカアサツヒメ誕生 秋9/2 垂仁の詔「ホムツワケが30才になっても話さない理由は何か」 冬10/8 ホムツワケ、空飛ぶ鳴鵠(クグヒ=白鳥)を見て初めて発言 アメノユカハタナ、垂仁の命で鳴鵠捕獲に出立 ユカハタナ、出雲(または但馬国)で鳴鵠を捕らえる 11/2 ユカハタナ、鳴鵠を献上→ホムツワケの失語症治る ユカハタナ、鳥取造の姓を得る→鳥取部・鳥養部・誉津部を定める 春2/8 垂仁、5大夫を招集して詔「大平の世の神々を如何に祭るか」 3/10 トヨスキイリビメに変わりヤマトヒメ、アマテラスを祭る (垂仁、ヤマトヒメを御杖[=憑代]とする) (ヤマトヒメ、アマテラスの啓示により磯城の神木の本に祭る) ヤマトヒメ、祭祀の場を探し諸国巡行 菟田の篠幡〜伊勢国に至る アマテラスの啓示「よき国伊勢に居ようと思う」 ヤマトヒメ、祠を建て、五十鈴川上に斎宮(磯宮)創建→アマテラス降臨(伊勢神宮) 秋8/3 垂仁、物部のトヲチネに勅使 「出雲に使者送るも沙汰なし。行きて出雲の神宝を得よ」 トヲチネ、出雲に赴き神宝を得る (冬10月 アマテラスの宮を伊勢国渡遇宮[三重県度会郡。ここでは内宮の事]に遷す) (ヤマト大神、穂積のオホミクチに神憑かり) (→「祟神は神事が枝葉のみだから短命だった。再度祭り直せば天下太平になろう」) (垂仁、大神の託宣をクカヌシに占わせる) (→ヤマト大神祭祀にヌナキワカヒメが指名される) (ヌナキワカヒメ、大神を穴磯邑の大市の長岡岬[奈良県桜井市芝辺りか]に祀る) (→ヌナキワカヒメ、身体衰弱し祭祀不可能に) (ナガヲチノスクネ、代わりに神を祭る) 秋8/7 垂仁、祠官に占い→兵器を祭るに吉 弓矢・横刀を奉納し神地・神を定め祀る→武器を祭る起源 屯倉、来目邑に興つ 冬10/5 ヤマトヒコ(垂仁の弟)崩御 11/2 ヤマトヒコを身狭の桃花鳥坂(橿原市見瀬町)に埋葬し近習者を殉死に 殉死者、昼夜泣き呻きなお死なず→死すと犬鳥がこれをはむ 垂仁の詔「殉死は古風な慣習と言えど止めるべき」 春1/6 垂仁、イニシキとオホタラシヒコに「願うものは何か」と詔 イニシキは弓矢を、オホタラシヒコ皇位を欲す オホタラシヒコ、皇位を継ぐ 秋7/6 皇后ヒバスヒメ(別名ヒバスネ)崩御 殉死反対の垂仁に助言しノミノスクネ、出雲国から土師(ハニ/葬礼職民)100人を召集 土師等、土で人や馬を造り献上「このハニ(土物)で生人の代わりとしよう」 垂仁、これを喜びハニを立てて皇后の墓を造営→埴輪(別名 立物)の起源 ノミノスクネ、鍛地を得て土師職に任命→土師臣・土師連の祖 垂仁、山背のカリハタトベと結婚 →オホザワケ/イカタラシヒコ/イタケルワケ誕生 春3/2 垂仁、山背(京都市東山区)行幸 山背大国のフチの娘カニハタトベを探す 垂仁、祈いによって亀を石に変え、その験からカニハタトベを見つけ後宮に入れる →イハツクワケ誕生 秋9月 イニシキ、河内国へ派遣。高石池(大阪府泉北郡)・茅渟池(大阪府泉佐野市)を造営 冬10月 イニシキ、倭の狭城池(奈良県佐紀)/迹見池(大和郡山市池ノ内町)を造営 諸国に池溝開墾を発令→800あまりを造営 天下太平 春正月 オホタラシヒコ、(21歳で[景行期の記述])皇太子となる 冬10月 イニシキ、茅渟の莵砥川上宮で剣千口を製作→川上部(別名 裸伴)と名付ける (またはイニシキが鍛冶人に大刀千口製造を号令) イニシキ、剣を石上神宮に収める 垂仁、イニシキを石上神宝の主とする (イニシキ、10の品部を制定し大刀を忍坂邑に収める) (その後 大刀を石上神宮に移す) (神の託宣「春日臣の同族イチカハに祭らせよ」→イチカハ、石上神宮に仕える) 春2/5 イニシキ、老いを理由に神宝管理を妹オホナカツヒメに譲ると提案 オホナカツヒメのためにイニシキ、神庫への梯子造設 ヒメ、物部トヲチネに神宝を授け管理を受け継ぐ 丹波国のミカソ、昔飼犬アユキがムジナの腹から発見した勾玉を石上神宮に献上 秋7/10 垂仁の詔「新羅王子ヒホコの持ってきた但馬の神宝を見たい」 キヨヒコ(ヒホコの曾孫)、神宝を垂仁に献上 キヨヒコ、神宝の小刀(出石小刀)のみ隠すも失敗 全てを石上神宮に収める その後 出石の小刀、自然にキヨヒコの元に戻るが次の日には消失 出石の小刀、淡路島に出現→島人、神として祠を建立 春2/1 垂仁、タヂマモリを常世国に派遣 非時(トキジク)の香菓(別名 橘)を求める (春2月 垂仁崩御[景行期の記述]) 秋7/1 垂仁、纏向宮にて140歳で崩御 冬12/10 垂仁を菅原伏見陵(奈良市唐招提寺西北)に埋葬 春3/12 タジマモリ帰還 非時の香菓8竿8縵を持ち帰る タジマモリ、垂仁の崩御を知り慟哭死 |
景行朝へ |