神代神武東征欠史八代→祟神→垂仁景行/成務
 
古事記・日本書紀の祟神の段を、趣味的に年表風にまとめてみました。
記紀の相違に注目!

第10代天皇 祟神の時代は
大和の神鎮め・大和統一を経て、初めて朝廷が開かれる時代です。
また、特に三輪の神 大物主と関係の深い伝説が頻出する部分でもあります。
おおざっぱに分けると
・大和の神々の祟り
・三輪の苧環(おだまき)伝説
・オホタタネコ/イカガシコヲの神鎮め
・四道将軍による幾内統一
・タケハニヤスビコ反乱
・箸墓伝説
・夢占いによる皇位選別
・出雲神宝と出雲大神祭祀権獲得
・イズモフルネ伝説(古事記の出雲健伝説に似る)
また次の垂仁期に「祟神期の事」として記述される
・アマノヒボコ伝説/ツヌガアラシト伝説
となります。
 
大和の初代の統率者である事、その称号が「初国知らす天皇」である事から
古い時代には、祟神と神武は同一の物語だったのではと言う説があります。
また、祟神から景行期まで「イリ」系の名の天皇が続くのも特徴的と言えば特徴的です。

祟神期に頻出する大物主伝説は
民話などでも広く流布している「蛇の婿入」型説話と似て
イクタマヨリヒメ・ヤマトトトビモモソヒメ・神武期のセヤダタラヒメの三伝承は
その共通性と相違性の上で興味深いものとなっています。

さらに、ソナカシチ/ツヌガアラシトの渡来人伝説は、
古事記では応神期に登場するアマノヒボコ伝説と似ており
この伝説から分化もしくは習合して各渡来人伝説が生まれたのだろうとされています。
書紀ではその渡来時期を崇神〜垂仁としますが、古事記では「昔」、
さらに播磨国風土記では「神代」としてアシハラノシコヲや伊和大神との土地争奪の伝説を載せています。
一方で,新羅にも韓人の東渡・東来伝説がある事が「三国遺事」に見えます。

ちょっと見にくいですが参考までに。

古事記   日本書紀 ()内は「一に云わく〜」で異伝と伝えられている部分
  イクタマビメ、夜中に通う男を愛し懐妊
父母怪しみ、男の正体を知ろうと糸巻きで男の帰り道を探る 
翌朝 糸巻きが三勾(3巻き)のみ残る 
糸を頼りに美和山の神社に行き着く ヒメの子が神の子と判明 
 →クシミカタ誕生 
クシミカタよりイヒカタスミ誕生
イヒカタスミよりタケミカヅチ誕生
タケミカヅチよりオホタタネコ誕生






イクタマヨリビメ、オホモノヌシの子を宿す
 →オホタタネコ誕生



ミマキイリヒコ(祟神)、師木(奈良県磯城郡)の水垣宮に坐す



祟神、木國のトホソアユメマクハシヒメと結婚
 →トヨキイリヒコ/トヨスキイリヒメ誕生 
祟神、尾張のオホアマヒメと結婚
 →オホイリキ/八坂のイリヒコ/沼名木のイリヒメ 
 /十市のイリヒメ誕生 
祟神、ミマツヒメ(オホビコの娘)と結婚
 →イクメイリビコイサチ/イザノマワカ/クニカタヒメ 
 /チチツクワヒメ/イガヒメ/ヤマトヒコ誕生 


イクメイリビコ、皇位を継ぐ
疫病流行 死者多数出る







祟神の夢占い→オホモノヌシの託宣
 「オホタタネコを探し我を祭れ」 



祟神、人を遣わし河内の美努村でオホタタネコを発見 

オホタタネコ、御室山(=三輪山)のオホミワの大神を祭る神主に 


祟神の命でイカガシコヲ、天神地祗の社を定め祭る 



 宇陀の墨坂神を赤色の楯矛で祭る
 宇陀の大坂神を黒色の楯矛で祭る
 他の坂の神・河の瀬の神を奉る→疫病止む


オホビコ、祟神の命で高志道(北陸地方)へ
タケヌナカハワケ、祟神の命で東の方十二道(東海地方)を平定

ヒコイマス、旦波(=丹波)に遣わされクガミミノミカサを殺害

オホビコ、山代の幣羅坂で祟神危機を歌う少女と出会う→少女消失
祟神、オホビコの話から庶兄タケハニヤスの反逆を知る 


崇神、オホビコとヒコクニブクを派遣
オホビコ・ヒコクニブク軍、山代の和訶羅河(木津川)でタケハニヤス軍と戦闘 
 →伊杼美(後に訛って伊豆美)の語源 
 両将軍の弓合戦 ヒコクニブク、タケハニヤスを射殺・勝利 
敵軍残党、次々と刺殺され河に浮く→波布理曾能(京都府相楽郡)の語源 
→屎褌(後の久須婆)・鵜河の語源 
オホビコ、再度高志へ赴く途中ヌナカハワケと合流
→相津(福島県会津)の語源 
オホビコの高志道平定 
祟神
元年











3年
4年

5年

6年


7年













8年


9年



10年
















(甲申の年)
春1/13 ミマキイリヒコ(祟神)、天皇に イカガシコメを皇太后にする
2/16 ミマキヒメ(オホビコの娘)、皇后に
   →イクメイリビコイサチ/ヒコイサチ/クニカタヒメ
   /チチツクヤマトヒメ/ヤマトヒコ/イカツルヒコ誕生
   紀伊国のトホツアユメマクハシヒメ
(尾張のヤサカフルアマイロベ)、妃に
   →トヨキイリビコ/トヨスキイリビメ誕生
   尾張のオホシアマヒメ、次妃に
   →ヤサカイリビコ/ヌナキイリビメ/トヲチニイリビメ誕生




秋9月 都を磯城に遷都(瑞籬宮/磯城郡桜井市金屋辺り)
冬10/23 祟神の詔発布(純漢文風)

疫病発生 民の大半死す
 アマテラス・オホクニタマを大殿の内に主祭する→疫病止まず
 民衆から流民・反乱者多数出る
 トヨスキイリビメ、倭(=大和)の笠縫邑で神木を建てアマテラスを祭る
 ヌナキノイリビメ、オホクニタマを祭る→髪落ち体痩せ祭祀かなわず
春2/15 祟神、神浅茅原に神を集め祭儀
    トトビモモソヒメ神憑かり オホモノヌシの託宣「我を祭れば平安になろう」
オホモノヌシへの祭祀→疫病止まず
祟神の夢占い→オホモノヌシの託宣
 「オホタタネコをして吾を祭れば世は大平に海外の国は帰伏せん」
秋8/7 マクハシヒメ・穂積オホミクチ・イセノヲミ、同じ夢を見る
   「オホモノヌシ現れ『オホタタネコを我が祭主に、
   イチシノナガヲチをオホクニタマの祭主にせよ』と言った」
祟神のオホタタネコ捜索 茅渟県の陶邑(大阪府堺市東南部)で発見
イカガシコヲの占い→オホモノヌシ祭祀に吉・他神祭祀に不吉
秋11/8または13 オホタタネコ、オホモノヌシの祭主に
         ナガヲチ、オホクニタマの祭主に
         イカガシコヲの占い→他神祭祀に吉 八十万の群神祭祀
         天社・国社・神地・神戸制定→疫病止み混乱静む
夏4/16 高橋邑のイクメを(三輪の?)大神の掌酒とする
冬12/20 オホタタネコの祭祀
    祟神、イクヒより酒を捧げられ饗宴 歌詠み
春3/15 祟神の夢に神の託宣「赤楯・赤矛8本で墨坂神(宇陀郡の神)を祭れ
              黒楯・黒矛8本で大坂神(北葛城郡の神)を祭れ」

4/16 夢の通りに墨坂・大坂両神を祭る
秋7/24 祟神の詔 四道将軍派遣を宣言
9/9 オホビコ、北道(北陸)へ派遣
   タケヌナカハワケ、東海へ派遣
   キビツヒコ、西道(山陽道)へ派遣
   タニハノチヌシ、丹波(丹波・丹後)へ派遣
アタヒメ、倭の香山(天香具山)の土を使い呪言(夫タケハニヤスビコが天下を獲るよう)
9/27 オホビコ、和珥坂
(山背の平坂/奈良の北)で祟神危機を歌う少女と出会う→少女消失
 トトビモモソヒメ、オホビコの話からタケハニヤスビコの謀反を知る
ハニヤスビコ挙兵 山背と大坂から大和を挟撃
 イサセリビコ、大坂のアタヒメ軍を討伐しアタヒメ殺害
 オホビコと和珥のヒコクニブク、山背進軍 和珥のタケスキ坂に甕を置き鎮座
 オホビコ軍とハニヤスビコ軍、輪韓河に対峙→挑河(訛って泉河/木津川のこと)の語源

 ヒコクニブクとハニヤスビコの弓合戦→ハニヤスビコ射殺され敗退
 敵軍残党敗走 河の北で半数を刺殺→羽振苑(京都府相楽郡精華町祝園)の語源
 敵軍残党、逃亡不可能を悟り甲を脱ぎ降伏→伽和羅・屎褌・我君の語源


   


トトビモモソヒメ、オホモノヌシの妻に 神、ヒメの所へ夜毎通う
 トトビヒメ、夫に昼の姿をせがみ神、これを承諾「願わくは吾の姿に驚くな」
 トトビヒメ、朝に櫛笥(=化粧箱)の中の小蛇(=神)を見て驚き叫ぶ
 神、これを怒り御諸山(三輪山)へ登る
 トトビヒメ、へたり込んだ所に陰部を箸で突かれ死去
 ヒメの墓を大市(桜井市北部)に造営 昼は人が、夜は神が造る
 →箸墓と名付ける




祟神の天下太平 初國知らししミマキ天皇と称される
祟神、初めて調貢制度を作る























祟神、依網池(大阪府住吉区)・輕の酒折池(奈良県高市郡)を造営

11年



12年


17年

29年
48年




60年



数年後






62年


65年
冬10/1 祟神、幾内平定・海外(幾外)への四道将軍派遣を宣言
冬10/22 四道将軍出立
夏4/28 四道将軍、賊の平定を報告 国内の異民、帰国し国内安寧

春3/11 祟神の詔 戸口調査・課役を制定
秋9/16 戸口調査・調役開始
    天下太平 祟神、御肇国天皇(初国知らす天皇)と称される
秋7/1 祟神の詔「造船によって海辺の民を助けよ」
冬10月 始めて船舶を造る
春1/1 皇后ミマキヒメ、瑞籬宮でイクメイリビコを産む(垂仁期の記述)
春1/10 祟神、皇位継承をトヨキとイクメの間で悩み2人に夢占いを命じる
    トヨキの夢「御諸山に登り東を向いて8回槍と刀を振る」
    イクメの夢「御諸山の嶺に登り縄を四方にわたし粟食う雀を散らす」
    祟神、トヨキに東国を与え、イクメに皇位を継がせる
4/19 イクメ、24歳で(←垂仁期の記述)皇太子に トヨキ、東国を治める
秋7/14 祟神の詔
「タケヒナテル(タケヒナトリ/アメヒナトリ)が出雲大神に送った神宝を欲す」
 タケモロスミ(オホモロスミ)、祟神の命でイズモフルネの所へ派遣
 モロスミ、筑紫国でフルネの弟イヒイリネ等と会い神宝を譲られる
 フルネ、筑紫国に帰還し、事態を知りイリネを責める
 フルネ、弟殺害を計画し木刀を作り自ら帯びる
 フルネ、イリネを止屋の淵(島根県出雲市)に連れ出し沐浴中に弟の刀でイリネを刺殺
 フルネの弟ウマシカラヒサと子ウカヅクネ、事の次第を朝廷に報告
 キビツヒコ・ヌナカハワケ、出雲に赴きフルネを誅殺→出雲大神の祭祀中断
氷上(兵庫県氷上郡)のヒカトベの子供の神憑かり「出雲人の宝鏡が水底に眠っている」
 イクメ、ヒカトベの言を祟神に報告し祟神、出雲の神を祭る(神宝を返した?)
秋7/2 祟神の詔「河内国狭山(大阪府南河内郡狭山町)の土壌開拓」
冬10月 依網池(大阪府堺市)造営
11月 苅坂池・反折池造営
(祟神、3つの池造営の間桑間宮に居す)
秋7月 任那国からソナカシチ朝貢





新羅國阿具沼の賤女、輝く赤玉を出産
夫、赤玉を腰に巻く 


夫、山谷に田を作り作物を牛に乗せて運搬
新羅國主アマノヒボコ、牛を屠殺するのではと夫を投獄 
夫、赤玉をヒボコに献上→夫、釈放される 
赤玉、美女と化しヒボコの正妻となる 
美女、ヒボコに種々の珍味を与え養育 
ヒボコと女の口論→女「私は祖國ヘ行く」

女、小船で難波へ渡る(比賣碁曾社のアカルヒメ神となる) 


ヒボコ,女を追って難波を目指すも渡の神により航路を外れる
ヒボコ、但馬に漂着 

ヒボコ、多遅摩のマヘツミと婚姻→多遅摩モロスク誕生
モロスクから多遅摩ヒネ誕生
ヒネから多遅摩ヒナラキ誕生
ヒナラキから多遅摩モリ・多遅摩ヒタカ/キヨヒコ誕生
キヨヒコ、當摩(タイマ)のメヒと婚姻
→酢鹿モロヲ/菅竃ユラドミ誕生
ヒタカ、ユラドミと婚姻→葛城タカヌカヒメ(神功皇后の母)誕生










(加羅のツヌガアラシト[別名ウシキアリシチカンキ]、黄牛と共に出立→黄牛失踪)
 (一郡家の老夫、牛が郡公により殺害・料理された事をアラシトに語り解決策を授ける)


 (アラシト、郡公に牛の代価を要求→郡神である白い石を得る)
 (夜 白い石、乙女に変じアラシト、これを喜ぶ)

 (女失踪→アラシト、妻に問うと「自ら東の方へ赴いた」)
 (アラシト、女を追い日本国へ)
 (女、難波[または豊国国前郡]に至り比売語曾社祭神となる)
(長門国穴門に有角人漂着 国王を名乗るイツツヒコと会うも王と認めず去る)
 (有角人、北海から出雲国を経て越国へ)

(越国筍飯浦[福井県敦賀市曙町辺り]に有角人漂着→角鹿の語源)
 (有角人、意富加羅国の王の子ツヌガアラシトと名乗り日本国聖皇の面会を要求)


戊寅の年12月 祟神、168歳で崩御 山邊の道の勾の岡の上に埋葬
68年
冬12/5 祟神、120歳で崩御
垂仁朝へ